漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

二十六夜

2020-09-13 07:45:33 | 和歌

 久しぶりに古今集以外のお話しです。

 上の写真は今朝の月。ずいぶんと細く欠けてきて、今日(昨夜、と表現すべきかな?)は「二十四夜」にあたるようです。あと二日、9/14の夜(正確には月の出は9/15の午前1時頃)には「二十六夜」。かつて人々が月見を楽しんだ3つの月の一つです(他の二つは「十三夜」と「十五夜」)。満月の十五夜はともかく、わずかに欠けた十三夜や、ましてあまりにも細くなった二十六夜の月を愛でるという感覚・風習は現代人(もちろん私を含む)には残念ながら余り受け継がれていないようですね。この「二十六夜」の月、月の出は深夜になりますから、かつての庶民とすれば、堂々と夜更けまで酒を飲むなどして楽しめる日ということでもあったのかもしれません。

 前置きが長くなりましたが、二十六夜待ちと言えば万葉集(巻十 2300番)のこの歌。

ながつきの ありあけのつくよ ありつつも きみしきまさば われこひめやも

長月の 有明の月夜 ありつつも 君し来まさば われ恋めやも

柿本人麻呂

 九月の有明の月夜のように、あなたがいつも私のところに来てくだされば、私がこんなふうに恋焦がれたりすることはないでしょうに。

 切ない恋の歌ですね。


古今和歌集

2019-01-14 22:14:14 | 和歌
 昨年の1月から少しずつ読み継いできた古今和歌集、途中ブランクの期間も何度かあって結局1年がかりになってしまいましたが、さきほどようやく1100首の歌を一通り読み終わりました。古典中の古典ですが、和歌の世界にはこれまでさほど親しんで来ませんでしたので初見の歌がほとんどでしたが、本当に奥深い世界です。語釈と解説を読まなくても少しは歌の趣旨が理解できるようになればな、と思いながら読み進めていましたが、その点ではまだまだです。

 せっかく触れた世界ですから、次は新古今和歌集に手を出そうかなどと思っています。(採録されている歌の数が古今集の2倍くらいあって大変ですけれど   汗)




 おもひつつ ぬればやひとの みえつらむ ゆめとしりせば さめざらましを

 あの人のことを恋しく思いながら寝たので、あの人が夢に見えたのであろうか。
 夢だと知っていれば、目をさまさずにいたものを。

 小野小町


噴火する富士

2018-04-18 20:34:16 | 和歌

 わぎもこに あふよしをなみ するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ


 ひとしれぬ おもひをつねに するがなる ふじのやまこそ わがみなりけれ


 きみてへば みまれみずまれ ふじのねの めづらしげなく もゆるわがこひ


 最初の一首は万葉集、あとの二首は古今和歌集におさめられた歌です。日頃、知識としては知っていても、富士山が火山であることを意識することはほぼありませんが、こうして古歌においては、噴火する富士は燃えるような恋心の象徴として詠まれているのですね。特に8世紀、9世紀ころには、富士山は頻繁に噴煙を噴き出していたと言いますから、平安時代の人々にとって富士山はまさに「生きた火山」であったのでしょう。地質学や火山学的なものとはまったく違うところで富士の噴火の痕跡に出会った、と言ったら少々お門違いでしょうか。


 古今和歌集の通読、4カ月かかってまだようやく三分の二ほど。遅々としてはいますが、なかなかに楽しい世界です。^^


物名(もののな)

2018-03-11 09:27:20 | 和歌
 妙に暖かい日があるかと思えば、また真冬なみの寒さに逆戻り。そのこと自体が、春本番が近い証とも言えますが、桜の咲き誇る光景が待ち遠しいですね。


 さて、引き続き古今和歌集からの話題ですが、巻第十の表題は「物名」。「ぶつめい」とも読むようですが、やはりここは「もののな」と読んでおきたい。コトバンクで「物名歌」を検索しますと、「ブリタニカ国際大百科事典」の記載として、『和歌の分類の一つ。「もののな」の歌,隠題 (かくしだい) の歌ともいう。事物の名を歌の意味とは無関係に詠み込んだ遊戯的な和歌。』と出てきます。「歌の意味とは無関係に」というところがおミソで、読み込まれたものが何であるかがわかりにくいものほど良い、とする評価基準もあるようです。

 古今集巻第十の巻頭にあるのは、藤原敏行朝臣のこの歌。

 心から 花のしづくに そほちつつ 憂く干ずとのみ 鳥のなくらむ

 「憂く干(ひ)ず」の部分に、「うぐいす」が詠み込まれています。

 続いて、同じ歌人による二首目。

 来べきほど 時すぎぬれや まちわびて 鳴くなる声の 人をとよむる

 一句目から二句目にかけて、「来べきほど 時すぎぬれや」と、「ほととぎす」が詠み込まれています。このように、句と句にまたがって詠み込まれることの方が、むしろ多いようです。


 古今集からは離れますが、3番目の勅撰和歌集である「拾遺和歌集」の物名の巻には、

 茎も葉も みな緑なる 深芹は 洗ふ根のみや 白く見ゆらむ

 と、「洗ふ根のみや 白く」のところに「あらふねのみやしろ(荒船の御社)」という九字が詠み込まれたものもあります。



 言葉遊びの類で、正当な(?)名歌鑑賞といったこととは趣が異なるかもしれませんが、面白いですね。こんなことができるのも、日本語の柔軟性、奥深さの一つの現れと捉えたいと思います。




きみがよは ちよにやちよに

2018-02-24 22:13:25 | 和歌
 古今和歌集、ようやく巻第六まで読み進み、四季を詠んだ歌が終わって「巻第七 賀歌」に入りました。その「賀歌」の最初に採録されているのがこの歌です。


 わがきみは ちよにやちよに さざれいしの いはほとなりて こけのむすまで


 一読してわかるように国歌「君が代」のもととなった歌ですね。作者は「よみ人知らず」。初句が現在の歌詞とは異なる「わがきみは」となっていて、また写本によっては第二句が「ちよにましませ」とされているものもあるそうです。事実上の国歌となったのは明治期、法律で正式に国歌とされたのは1999年のこと。初句に関しては、『和漢朗詠集』を始めとする後世の歌集では「きみがよは」としているものが圧倒的に多く、全体としては「わがきみは」の方がレアなようです。象徴天皇制の現在にあって、もし歌詞が「わがきみは」のままであったなら、この歌が国歌とされることはなかったかもしれませんね。


 古今和歌集収録の1,100首のうち、今回ご紹介したこの歌が343番目とまだ三分の一ほど。これまであまり和歌に親しんでこなかった私にとっては初見の歌がほとんどですが、百人一首に収録されているものや今回のこの歌など、時折知っている歌が出てくるとなにやらホッとした(?)ような気持ちになります。(笑)

 奥深い和歌の世界に、しばらく浸っていきたいと思っています。