きみをのみ おもひねにねし ゆめなれば わがこころから みつるなりけり
君をのみ 思ひ寝に寝し 夢なれば わが心から 見つるなりけり
凡河内躬恒
あなたのことだけを思って寝て見た夢なので、私の深い思いであなたのことを夢見ることができたのであるよ。
0569 でもご紹介しましたが、夢に人が出てくるのは、その人が自分のことを思ってくれているから、というのが当時の捉え方。それを踏まえると、この歌には「あなたが私のことを思ってくれているからではなく、あなたを思いながら寝た私自身の心ゆえに見た夢なのだろうなぁ」という嘆きが含まれていることがわかります。単に、愛しい人の夢が見られてうれしいという詠歌ではないのですね。
ことにいでて いはぬばかりぞ みなせがは したにかよひて こひしきものを
言に出でて 言はぬばかりぞ 水無瀬川 下にかよひて 恋しきものを
紀友則
言葉にして言わないだけのこと。地下を流れて表には水が見えない水無瀬川のように、表には出さずに心の中であなたのことをいつも恋しく想っているのだよ。
weblio古語辞典によれば「水無瀬川」とは、「水のない川。伏流となって地下を流れ、川床に水の見えない川。和歌では、表に現れない、表に現せない心をたとえることがある。『みなしがは』とも。」とあります。現在では淀川水系の河川を指す固有名詞ですが、当時は上記の意味の普通名詞だったようです。古今集ではこのあと 0760、0793 にも登場します。
てもふれで つきひへにける しらまゆみ おきふしよるは いこそねられね
手もふれで 月日へにける 白真弓 おきふし夜は いこそ寝られね
紀貫之
手も触れずに月日を経てしまった白真弓ではないが、接することもできないまま起きていても臥していてもあなたのことを思って、夜も寝ることもできない私であるよ。
非常に難解ですね。第三句までが「おきふし」を導く序詞ということで、つまりは「おきふし」は人が起きたり臥したりする意味と同時に、弓に関する所作を表す言葉でもあるということなのですが、弓を「おきふし」するとはどういうことなのかは、諸説あるようです。「白真弓」はもちろん愛しい異性を指していて、逢瀬が叶わぬまま年月が過ぎていくことを嘆いた詠歌です。