漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 533

2024-09-30 05:27:07 | 貫之集

大鷹狩り

ふゆくさの かれもはてなで しかすがに いまとしなれば かりにのみくる

冬草の かれもはてなで しかすがに 今としなれば かりにのみくる

 

大鷹狩り

冬草がまだ枯れ果ててはしまわないこの季節となると人がただ狩りをするだけにやって来るように、心が離れたといっても別れてはしまわないという状況になると、ただかりそめに男が女のものと訪れて来る。

 

 「かれ」に「枯れ」と「離れ」、「かり」に「狩り」と「仮」がそれぞれ掛かっています。この歌は、「貫之集第四」の最後であると同時に、今日残っている貫之の屏風歌として最後のものとなります。
 明日からは、恋の歌を集めた「第五」のご紹介です。

 


貫之集 532

2024-09-29 05:56:17 | 貫之集

神楽

さかきばの ときはにあれば ながけくに いのちたもてる かみのきねかな

榊葉の 常盤にあれば 長けくに 命たもてる 神のきねかな

 

神楽

榊葉はつねに変わらぬ緑をしているので、それを手に神楽を奉納している巫女もまた、長い命を授かっているのであろう。

 

 巫女を指す「神のきね」との表現は 187 にも出てきました。

 

あしひきの やまのさかきの ときはなる かげにさかゆる かみのきねかも

あしひきの 山の榊の 常盤なる 陰にさかゆる 神のきねかも

 


貫之集 531

2024-09-28 05:43:24 | 貫之集

男なき家

かけておもふ ひともなけれど ゆふされば おもかげたえぬ たまかづらかな

かけて思ふ 人もなけれど 夕されば 面影たえぬ 玉かづらかな

 

男のいない家

私には思ってくれる人もいないのだけれど、夕方になると、玉かづらの髪飾りをつけた私には、いつもあの人の面影が見えてくるよ。

 

 「玉かづら」はかづらの美称で、美しい髪飾りとされました。「伊勢物語」第二十一段の歌を踏まえての詠歌で、新古今和歌集(巻第十三「恋三」 第1219番)にも入集しています。

 

ひとはいさ おもひやすらむ たまかづら おもかげにのみ いとどみえつつ

人はいさ 思ひやすらむ 玉かづら 面影にのみ いとど見えつつ


貫之集 530

2024-09-27 06:19:38 | 貫之集

水のほとりに菊おほかり

みづにさへ ながれてふかき わがやどは きくのふちとぞ なりぬべらなる

水にさへ 流れて深き わが宿は 菊の淵とぞ なりぬべらなる

 

水のほとりに菊がたくさん咲いている

菊の花がいっぱいに咲き、川の水まで深く流れる、そんなわが家のあたりはまるで菊の淵にでもなってしまったかのようだ。

 

 たくさんの菊が咲き、そのしずくを川の水が運んでいく地に立つ家を、仙境に見立てての詠歌です。

 


貫之集 529

2024-09-26 06:44:31 | 貫之集

小鷹狩り

かりにくる われとはしらで あきののに なくまつむしの こゑをきくかな

かりに来る われとは知らで 秋の野に 鳴くまつ虫の 声を聞くかな

 

小鷹狩り

狩りに来たことを私自身すっかり忘れてしまい、そして私がかりそめにやって来たとも知らずに、秋の野に松虫の声が聞こえていたことであるよ。

 

 「かり」が「狩り」と「仮」、「まつ」が「まつ(虫)」と「待つ」の掛詞になっています。「まつ虫」が、自分の来訪を待っている恋人の象徴と考えると、さらに「なく」は「鳴く」に「泣く」が掛かっているとも言えるでしょう。