あまのはら ふみとどろかし なるかみも おもふなかをば さくるものかは
天の原 踏みとどろかし 鳴る神も 思ふなかをば さくるものかは
よみ人知らず
空を踏み轟かして鳴る雷といえども、思い合う二人の仲を裂くことなどできようか。
「鳴る神」は雷鳴のこと。0482 の貫之歌にも登場しました。
あまのはら ふみとどろかし なるかみも おもふなかをば さくるものかは
天の原 踏みとどろかし 鳴る神も 思ふなかをば さくるものかは
よみ人知らず
空を踏み轟かして鳴る雷といえども、思い合う二人の仲を裂くことなどできようか。
「鳴る神」は雷鳴のこと。0482 の貫之歌にも登場しました。
かくこひむ ものとはわれも おもひにき こころのうらぞ まさしかりける
かく恋ひむ ものとはわれも 思ひにき 心のうらぞ まさしかりける
よみ人知らず
このように恋してしまうだろうと、自分でも思っていた。心の占いは正しかったのだ。
「うら」は「占」で占い、「まさし」は「正し」で正しい意。この「占い」は自ら施したのか、それとも他者に占ってもらったのか、どちらの解釈も成り立ちそうですが、上三句の「自分もそう思っていた」ということとのつながりで考えると、「占ってもらったらそう出ていたが、これほど恋しくなることは自分でもわかっていたよ」と解釈する方が自然な気がします。
さて、これで 700 首と、また区切りを迎えることができました。ご来訪くださる皆さまに心より感謝しつつ、明日からもひとつひとつ続けていきます。引き続きよろしくお願いいたします。
みよしのの おおかはのへの ふじなみの なみにおもはば わがこひめやは
み吉野の 大川の辺の 藤波の なみに思はば わが恋ひめやは
よみ人知らず
普通に思っている程度だったなら、こんなにも恋しく思うことがあっただろうか。
第三句までは、第四句の「なみ(並み)」を導く序詞。万葉集第858番の歌(作者不詳)を踏まえた詠歌とされています。
わかゆつる まつらのかはの かはなみの なみにしもはば われこひめやも
若鮎釣る 松浦の川の 川波の なみにし思はば われ恋ひめやも
(万葉集 巻第五 第858番)
こひしとは たがなづけけむ ことならむ しぬとぞただに いふべかりける
恋しとは たが名づけけむ 言ならむ 死ぬとぞただに 言ふべかりける
清原深養父
「恋しい」とは、一体誰が名づけた言葉なのだろうか。単に「死ぬ」と言うべきであったのだ。
恋することの苦しみを、死にも匹敵すると詠んだ歌。「恋し」を「恋しい」ではなく「恋死」と考えた方がより明解であるかもしれません。0603、0613 に続いて恋死をテーマとした深養父の詠歌です。
こひしなば たがなはたたじ よのなかの つねなきものと いひはなすとも
恋ひ死なば たが名は立たじ 世の中の 常なきものと 言ひはなすとも
いまははや こひしなましを あひみむと たのめしことぞ いのちなりける
今ははや 恋ひ死なましを あひ見むと たのめしことぞ 命なりける