ゆくみづの こころはきよき ものなれど まこととおもはぬ つきぞみえける
行く水の 心は清き ものなれど まことと思はぬ 月ぞ見えける
流れる水は澄んで心清らかなはずなのに、まことの月とは思わぬ月が映って見えているよ。
清く澄んだ水とそこに映る虚像の月との対比というところでしょうか。
ゆくみづの こころはきよき ものなれど まこととおもはぬ つきぞみえける
行く水の 心は清き ものなれど まことと思はぬ 月ぞ見えける
流れる水は澄んで心清らかなはずなのに、まことの月とは思わぬ月が映って見えているよ。
清く澄んだ水とそこに映る虚像の月との対比というところでしょうか。
をみなへし にほひをそでに うつしては あやなくわれを ひとやとがめむ
女郎花 匂ひを袖に うつしては あやなくわれを 人やとがめむ
女郎花の匂いを袖に移したならば、いわれもなく人は私を咎めることだろう。
人が「咎める」のは、女郎花の香りに、人々が自分が女色にふけっていると誤解するから。古今和歌集 0229 の小野美材(おの の よしき)の歌を踏まえての詠歌です。
本歌は、新拾遺和歌集(巻第四「秋上」 第363番)に入集しています。
をみなへし おおかるのべに やどりせば あやなくあだの なをやたちなむ
女郎花 多かる野辺に 宿りせば あやなくあだの 名をや立ちなむ
小野美材
秋
おほぞらを われもながめて ひこぼしの つままつよさへ ひとりかもねむ
大空を われもながめて 彦星の 妻待つ夜さへ ひとりかも寝む
秋
七夕の夜は私も大空を眺めて、彦星がたった一年に一度だけ妻を待つその夜さえも、寂しく一人寝をするのであるよ。
相手のいない自分は一年に一度の逢瀬すらもない、という何とも寂しく悲しい歌ですね。
この歌は新古今和歌集(巻第四「秋上」 第313番)に入集しています。
あひだなく よするかはなみ たちかへり いのりてもなほ あかずぞありける
あひだなく 寄する川波 立ちかへり 祈りてもなほ あかずぞありける
絶え間なく寄せて来る川波が立つように、繰り返し祈ってもなお、十分でない思いがするのであったよ。
次の 288 に「秋」との詞書がありますので、この歌は夏の最後、六月祓(みなづきばらへ)を詠んだものでしょう。自身の穢(けが)れを移した形代を川に流して祈る行事ですね。