さきのこる きくにはみづも ながれねど あきふかくこそ にほふべらなれ
咲き残る 菊には水も 流れねど 秋深くこそ にほふべらなれ
咲き残った菊には、しずくの落ちて流れる菊水も見当たらないけれども、秋が深まった今も美しく咲きほこっていることよ。
晩秋の季語ともなっている「残菊」を詠んだ歌。第五句の「にほふ」は、現代では香る意のみに使われますが、古語では「美しく咲いている」意がありました。ここではそちらの意味ですね。
さきのこる きくにはみづも ながれねど あきふかくこそ にほふべらなれ
咲き残る 菊には水も 流れねど 秋深くこそ にほふべらなれ
咲き残った菊には、しずくの落ちて流れる菊水も見当たらないけれども、秋が深まった今も美しく咲きほこっていることよ。
晩秋の季語ともなっている「残菊」を詠んだ歌。第五句の「にほふ」は、現代では香る意のみに使われますが、古語では「美しく咲いている」意がありました。ここではそちらの意味ですね。
菊
ちとせをし とどむべければ しらたまを ぬけるとぞみる きくのしらつゆ
千歳をし とどむべければ 白玉を 抜けるとぞ見る 菊の白露
菊
千年の長寿を保つ力があるので、菊に置いた白露は、白玉を並べて貫いているのかと見えるほどであるよ。
初句「千歳をし」の「し」は副助詞で強調の意を表します。
萩
つまこふる しかのなみだや あきはぎの したはもみづる つゆとなるらむ
妻恋ふる 鹿の涙や 秋萩の 下葉もみづる 露となるらむ
萩
妻を恋しがる鹿の涙は、秋萩の下葉が紅葉する露となっているのであろうか。
第四句の「もみづる」は「もみぢ」が動詞化した「もみづ」の連体形。時雨が紅葉を色づかせるという言い伝えも踏まえて、妻を想って流す鹿の涙が露となって萩を色づかせるのかと詠んだ歌ですね。
七日
ひととせに ひとよとおもへど たなばたは ふたりともなき つまにざりける
一年に 一夜と思へど たなばたは ふたりともなき 妻にざりける
七日
一年に一夜だけしか逢えないけれど、織姫は二人といないすばらしい妻であるのだなあ。
第三句まで、396 とほぼ同一です。第四句の「ふたりともなき」は、古典和歌ではあまり見ない表現ですね。
夏祓へ
かはやしろ しのにおりはへ ほすころも いかにほせばか なぬかひざらむ
川社 しのに織りはへ ほす衣 いかにほせばか 七日ひざらむ
夏祓へ
川社にしっとりと織って干す衣が七日も乾かないのは、どのように干したからなのだろうか。
デジタル大辞泉によれば、川社とは「昔、6月大祓えなどに、川のほとりにつくった仮屋。榊・篠竹・神饌を置く棚を設け、神楽を奏して神を祭る。」とあります。その川社に干した衣は、なぜか七日たっても乾かない、という歌ですが、良く意味がわかりませんでした ^^;;
この歌は新古今和歌集(巻第十九「神祇歌」 第1915番)に入集しています。