漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 167

2023-09-30 04:32:03 | 貫之集

松が崎

たなびかぬ ときこそなけれ あきもなき まつがさきより みゆるしらくも

たなびかぬ ときこそなけれ 秋もなき 松が崎より 見ゆる白雲

 

松が崎

たなびいていないことなどない。松の緑で秋の訪れをも知らない松が崎から見える白雲は。

 

 「松が崎」は京都の地名。「松」の名に準えて、松が常緑(=紅葉しない)であることから「秋を知らない地」と洒落て見たというところでしょうか。歌意を端的に書けば「松が崎ではいつも白雲がたなびいている」ということですが、161 の詞書にあった通り、この歌は左大臣藤原忠平の奥方に奉呈されたもの。白雲がたなびく屏風絵が置かれた忠平の邸宅が松が崎の地にあったということなのかもしれません。


貫之集 166

2023-09-29 04:22:38 | 貫之集

室生

よとともに ゆきかふふねを みるごとに ほにいでてきみを ちとせとぞおもふ

世とともに 行きかう舟を 見るごとに ほに出でて君を 千歳とぞ思ふ

 

室生

いつの世も絶えず行き交う舟を見るごとに、その舟の帆にように際立つあなた様の千歳のご長寿を思います。

 

 「室生」は地名ですが、室生寺のある奈良県の室生ではないようです。第四句の「ほ」は「帆」と「秀(秀でる意)」の掛詞。さらに「穂」にも掛ける主旨かもしれませんね。


貫之集 165

2023-09-28 04:52:57 | 貫之集

白浜

きみがよの としのかずをば しろたへの はまのまさごと たれかいひけむ

君が代の 年の数をば 白妙の 浜のまさごと たれかいひけむ

 

白浜

あなたさまの年の数を、真っ白な浜の真砂のようだと、誰が巧みに喩えたのでしょう。

 

 この歌は、新古今和歌集(巻第七「賀歌」 第710番)にも入集していますが、そちらでは「題しらず」とされ、また第五句が「たれかしきけむ(誰か敷きけむ)」となっています。


貫之集 164

2023-09-27 04:29:45 | 貫之集

亀山

かめやまの こふをうつして ゆくみづに こぎくるふねは いくよへぬらむ

亀山の 劫をうつして 行く水に 漕ぎくる舟は 幾代へぬらむ

 

亀山

長く変わらない亀山の姿を映して流れゆく川を漕いでやって来る舟は、どれほどの時代を経てきたのであろうか。

 

 「亀山」は京都にあり、大堰川に臨む山。なので「行く水」は大堰川を指します。「劫」は非常に長い時間を意味する仏語ですね。「億劫(おっくう)」という言葉は、「劫」だけでも長い長い時間のことなのに、それが一億も重なったということですから、途方もなく長い時間のこと。そんなに時間があってもやるのが面倒だという意味ですが、怠け心にもほどがある?


貫之集 163

2023-09-26 04:46:50 | 貫之集

逢坂山

きみとなほ ちとせのはるに あふさかの しみづはわれも くまむとぞおもふ

君となほ 千歳の春に あふ坂の 清水はわれも くまむとぞ思ふ

 

逢坂山

千年の後にもあなたさまとお会いできますようご長寿をお祈りして、この逢坂の関の清水を汲もうと思います。

 

 第三句の「あふ」は「(千年後に)あふ」と「あふ(坂)」の掛詞。「逢坂の関の清水」は 014 にも歌われていましたね。

 

あふさかの せきのしみずに かげみえて いまやひくらむ もちづきのこま

逢坂の 関の清水に 影見えて 今や引くらむ 望月の駒