あかずして つきのかくるる やまもとは あなたおもてぞ こひしかりける
あかずして 月の隠るる 山もとは あなたおもてぞ 恋しかりける
よみ人知らず
まだ十分に堪能する前に月が山に隠れて見えなくなってしまう、そんな山のふもとでは、山の向こう側が恋しく思われるのだ。
0877 では、山の向こうの人々が別れを惜しんで引き留めているから月の出が遅い、と謳われていましたが、こちらはその逆の情景・心情ですね。
あかずして つきのかくるる やまもとは あなたおもてぞ こひしかりける
あかずして 月の隠るる 山もとは あなたおもてぞ 恋しかりける
よみ人知らず
まだ十分に堪能する前に月が山に隠れて見えなくなってしまう、そんな山のふもとでは、山の向こう側が恋しく思われるのだ。
0877 では、山の向こうの人々が別れを惜しんで引き留めているから月の出が遅い、と謳われていましたが、こちらはその逆の情景・心情ですね。
あまのがは くものみをにて はやければ ひかりとどめず つきぞながるる
天の川 雲の水脈にて 早ければ 光とどめず 月ぞ流るる
よみ人知らず
天の川は雲が水の流れとなって早く流れるので、月の光がとどまることなく流れて行く。
美しい月をゆっくり眺めていたいのに、天の川の早瀬に乗ってすぐに流れて行ってしまう、という歌でしょうか。ちょっと良くわかりませんでした。^^;;
ふたつなき ものとおもひしを みなぞこに やまのはならで いづるつきかげ
二つなき ものと思ひしを 水底に 山の端ならで 出づる月影
紀貫之
二つはないものと思っていたのに、山の端でもない水底に出た月であるよ。
詞書には「池に月の見えけるをよめる」とあります。歌意、情景はわかりやすいですね。貫之は月に限らず、水面に映る光景を好んだようで、そうした歌がたくさんあります。いくつかご紹介しますね。
そらにのみ みれどもあかぬ つきかげの みなぞこにさへ またもあるかな
空にのみ 見れども飽かぬ 月影の 水底にさへ またもあるかな
(貫之集 311)
ふたつこぬ はるとおもへど かげみれば みなぞこにさへ はなぞちりける
二つ来ぬ 春と思へど 影見れば 水底にさへ 花ぞ散りける
(貫之集 298)
うめのはな まだちらねども ゆくみずの そこにうつれる かげぞみえける
梅の花 まだ散らねども 行く水の 底にうつれる 影ぞ見えける
(貫之集 113)