漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0852

2022-02-28 06:34:55 | 古今和歌集

きみまさで けむりたえにし しおがまの うらさびしくも みえわたるかな

君まさで 煙絶えにし 塩釜の うらさびしくも 見えわたるかな

 

紀貫之

 

 あなたがおられなくなって、煙が絶えてしまった塩釜が、うら寂しく見えていることです。

 詞書には「河原の左大臣の身まかりてのち、かの家にまかりてありけるに、塩釜といふ所のさまをつくれりけるを見てよめる」とあります。「河原の左大臣」は 0848 でもご紹介した通り源融(みなもと の とおる)のこと。源融自身の歌も 07240873 に採録されています。初句「君まさで」の「まさ」は「あり」の尊敬語「ます」の未然形。和歌で尊敬語が使われるのは珍しく、貫之が源融に深い尊敬の念を抱いていたことがわかります。「塩釜」は陸奥地方の名所で、源融の家の庭にその塩釜を模して造られた一角があったのを見て詠んだ歌、ということですね。「煙」は塩を焼く煙です。

 


古今和歌集 0851

2022-02-27 06:30:16 | 古今和歌集

いろもかも むかしのこさに にほへども うゑけむひとの かげぞこひしき

色も香も 昔の濃さに にほへども 植ゑけむ人の 影ぞ恋ひしき

 

紀貫之

 

 梅の花は色も香りも昔と同じように深いけれども、これを植えた人は今は亡く、そも面影が恋しく思い出されることよ。

 詞書には「あるじ身まかにける人の家の、梅の花を見てよめる」とあります。「にほふ」は現代では嗅覚のみに用いますが、古語では視覚・嗅覚両方に用いられます。視覚で用いる場合は「美しく映える」意ですね。前歌(0850)と同じく、花を見てそれを植えた故人を偲ぶ詠歌です。


古今和歌集 0850

2022-02-26 05:26:25 | 古今和歌集

はなよりも ひとこそあだに なりにけれ いづれをさきに こひむとかみし

花よりも 人こそあだに なりにけれ いづれを先に 恋ひむとか見し

 

紀茂行

 

 花よりも、それを植えた人が先にはかなくこの世を去ってしまった。どちらを先に恋しく思うかなどとは考えもしなかったのに。

 詞書には「桜を植ゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき時に、この植ゑける人身まかりければ、その花を見てよめる」とあります。
 作者の紀茂行(き の もちゆき)は貫之の父にあたる人物ですが、それ以外の詳細は不明。古今集への入集はこの一首のみです。

 


古今和歌集 0849

2022-02-25 07:13:34 | 古今和歌集

ほととぎす けさなくこゑに おどろけば きみをわかれし ときにぞありける

ほととぎす けさ鳴く声に 驚けば 君を別れし 時にぞありける

 

紀貫之

 

 ほととぎすが鳴く声に驚いた今朝、ちょうど昨年、あなたとお別れした時分なのでした。

 詞書には「藤原高経朝臣の身まかりてのまたの年の夏、ほととぎすの鳴きけるをききてよめる」とあります。藤原高経(ふじわら の たかつね)は、基経の弟。基経の死に際しての哀傷歌も 08310832 に採録されていますね。また、高経も後撰和歌集に一首が採録されている勅撰歌人です。

 

なつのよは あふなのみして しきたへの ちりはらふまに あけそしにける

夏の夜は あふ名のみして 敷妙の ちりはらふまに あけそしにける

 

藤原高経

(後撰和歌集 巻第四「夏歌」 第169番)


古今和歌集 0848

2022-02-24 06:36:46 | 古今和歌集

うちつけに さびしくもあるか もみぢばも ぬしなきやどは いろなかりけり

うちつけに さびしくもあるか もみぢ葉も 主なき宿は 色なかりけり

 

近院右大臣

 

 急に寂しくなったものだ。主を失ったこの家では、紅葉の葉も色づいていないのだなあ。

 詞書には「河原の大臣の身まかりての秋、かの家のほとりをまかりけるに、紅葉の色まだ深くもならざりけるを見て、かの家によみて入れたりける」とあります。「近院右大臣」は源能有(みなもと の よしあり)、「河原の大臣」は源融(みなもと の とおる)のこと。紅葉が秋になっても色づかないのは、紅葉にも心があって、主を失った悲しみを抱いているのであろうという想像ですね。源融の著名な歌も 0724 に採録されています。

 

みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれむとおもふ われならなくに

陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れむと思ふ われならなくに

 

河原左大臣