ひとりして よをしつくせば たかさごの まつのときはも かひなかりけり
ひとりして 世をし尽くせば 高砂の 松の常盤も かひなかりけり
ただひとりで生き尽くしたならば、高砂の松がいつまでも朽ちないでいることもかえって寂しく感じられることよ。
通常であれば永遠の象徴とされる松が、一人身の作者には孤独の象徴に感じられてしまうという歌。叶わぬ恋の嘆きですね。
この歌は拾遺和歌集(巻第十九「雑恋」 第1271番)に入集しています。
ひとりして よをしつくせば たかさごの まつのときはも かひなかりけり
ひとりして 世をし尽くせば 高砂の 松の常盤も かひなかりけり
ただひとりで生き尽くしたならば、高砂の松がいつまでも朽ちないでいることもかえって寂しく感じられることよ。
通常であれば永遠の象徴とされる松が、一人身の作者には孤独の象徴に感じられてしまうという歌。叶わぬ恋の嘆きですね。
この歌は拾遺和歌集(巻第十九「雑恋」 第1271番)に入集しています。
はなすすき ほにはいでじと おもひしを とくもふきぬる あきのかぜかな
花薄 ほには出でじと 思ひしを とくも吹きぬる 秋の風かな
花薄が穂を出さないのと同じように、私も胸の内を外には出すまいと思っていたのに、早くも秋風が吹いて薄が穂を出し、私の思いも知られてしまったことよ。
「ほにいづ」は心の内が露見してしまうことの喩え。よく出てくる表現ですね。
とりのねも きこえぬやまの むもれぎは わがひとしれぬ なげきなりけり
鳥の音も 聞こえぬ山の 埋木は わが人しれぬ なげきなりけり
鳥の声も聞こえない山奥の埋もれ木は、埋もれて思いを告げられず、人しれぬ嘆く私の姿そのままなのであったよ。
第五句「なげき」の「き」は「木」との掛詞。よく出て来る修辞ですね。
このごろは さみだれちかみ ほととぎす おもひみだれて なかぬひぞなき
このごろは 五月雨近み 時鳥 思ひ乱れて なかぬ日ぞなき
このごろは五月雨が近いためか、時鳥が鳴く。私も思いが乱れて、泣かない日はない。
上句の「さみだれ」が「おもひみだれて」を導く形の序詞、「なかぬ」は「鳴かぬ」と「泣かぬ」の掛詞ですね。
この歌は、後撰和歌集(巻第四「夏」 第163番)によみ人知らずの歌として入集しています。
わびびとの そでをやかれる やまがはは なみだのごとく おつるたきかな
わび人の 袖をやかれる 山川は 涙のごとく 落つる滝かな
侘人の袖を借りて受け止めているのだろうか、山川の滝はまるで涙のように落ちてくるよ。
「わび人」は悲嘆に暮れている人。絶え間なく落ちる滝が自身の涙であるかのように、作者には思えているのでしょう。