のべみれば おふるすすきの くさわかみ まだほにいでぬ こひもするかな
野辺みれば おふる薄の 草わかみ まだほに出でぬ 恋もするかな
野辺を見ると、生えている薄の草がまだ若くて穂が出ていない。私もそんな表には出せない恋をしていることよ。
第四句の「ほに出づ」は、「穂」に「秀」に通じ、薄や稲の穂が出ないこととあわせて、恋心などがあらわに見えることの喩えに使われます。465 にも出てきましたね。
のべみれば おふるすすきの くさわかみ まだほにいでぬ こひもするかな
野辺みれば おふる薄の 草わかみ まだほに出でぬ 恋もするかな
野辺を見ると、生えている薄の草がまだ若くて穂が出ていない。私もそんな表には出せない恋をしていることよ。
第四句の「ほに出づ」は、「穂」に「秀」に通じ、薄や稲の穂が出ないこととあわせて、恋心などがあらわに見えることの喩えに使われます。465 にも出てきましたね。
せをはやみ そでよりもるる なみだがは ものおもひもなき ひともぬれけり
瀬をはやみ 袖よりもるる 涙川 もの思ひもなき 人もぬれけり
流れが早くて、袖から漏れてしたたりおちてしまうほどに涙があふれ、自分とは関係ないと思っているであろう人さえ濡らしてしまっているよ。
第二句は古来伝わる伝本では「袖よりも見る」とされているところ、私がこのブログの元とさせていただいている「土佐日記 貫之集」(木村正中 校注)で「私見」として「袖よりもるる」と改められています。悲嘆の涙が川のように流れて本来関係のない人まで濡らしてしまっているという歌意からすると、確かに「もるる」の方がふさわしいかもしれませんね。
あきはぎを みつつけふこそ くらしつれ したばはこひの つまにざりける
秋萩を 見つつ今日こそ 暮らしつれ 下葉は恋の つまにざりける
秋萩を見ながら今日一日を過ごし、色づく下葉に、あの人への恋を感じたのであるよ。
秋萩を恋い慕うとされる鹿の恋情が念頭にあっての詠歌でしょう。
つまこふる しかのしがらむ あきはぎに おけるしらつゆ われもけぬべし
妻恋ふる 鹿のしがらむ 秋萩に おける白露 われも消ぬべし
鹿が妻を恋い慕ってすり寄るという秋萩。その葉の上に置く白露が朝日が昇るとすぐに消えてしまうように、あなたを恋い慕う私も、儚く消えてしまうのでしょう。
あはれてふ ことにあかねば よのなかを なみだにうかぶ わがみなりけり
あはれてふ ことにあかねば 世の中を 涙に浮かぶ わが身なりけり
「あはれ」という感情が尽きることはないので、いつも二人の仲を涙ながらに思い浮かべるわが身なのであるよ。
古語では「世の中」には男女の仲の意もあり、ここではその意味ですね。