池のほとりに藤の花咲きたるところ
みづにさへ はるやくるると たちかへり いけのふぢなみ をりつつぞみる
水にさへ 春や暮るると 立ちかへり 池の藤波 折りつつぞ見る
池のほとりに藤の花が咲いているところ
水の上にさえ春が暮れて行くのかと、あらためて池のほとりに咲く藤の花を、折りながら眺めるよ。
藤は晩春を彩る花。それが水面に映る情景の屏風絵を、「水の上にまで春が暮れていく」と詠んだ歌人の機智ですね。
池のほとりに藤の花咲きたるところ
みづにさへ はるやくるると たちかへり いけのふぢなみ をりつつぞみる
水にさへ 春や暮るると 立ちかへり 池の藤波 折りつつぞ見る
池のほとりに藤の花が咲いているところ
水の上にさえ春が暮れて行くのかと、あらためて池のほとりに咲く藤の花を、折りながら眺めるよ。
藤は晩春を彩る花。それが水面に映る情景の屏風絵を、「水の上にまで春が暮れていく」と詠んだ歌人の機智ですね。
延喜十八年四月、東宮の御屏風、八首
桜の花のもとに人々のゐたるところ
かつみつつ あかずとおもふに さくらばな ちりなむのちぞ かねてこひしき
かつみつつ あかずと思ふに さくらばな 散りなむのちぞ かねて恋ひしき
延喜十八年(918年)四月、皇太子殿下に奉呈した屏風歌八首
桜の花のもとに人々がいるところ
桜の花を見ながら、いつまでも飽きることがないと思っているけれども、散ったあとはどんなに桜を恋しく思うだろうか。
「東宮」は第60代醍醐天皇の第二皇子保明親王のこと。わずか二歳で皇太子となりましたが、醍醐天皇より先に亡くなったため、即位することはありませんでした。
十二月
このまより かぜにまかせて ふるゆきを はるくるまでは はなかとぞみる
木の間より 風にまかせて 降る雪を 春くるまでは 花かとぞ見る
十二月
木々の間から風が吹くのにまかせて降る雪を、春が来るまでは花かと思って見るのであるよ。
降る雪を花に見立てて、春を待ちわびる思いを詠みあげていますね。貫之による類歌は、古今集 331 にも見えます。
ふゆごもり おもひかけぬを このまより はなとみるまで ゆきぞふりける
冬ごもり 思ひかけぬを 木の間より 花と見るまで 雪ぞ降りける
十月
ながれくる もみぢばみれば からにしき たきのいとして おれるなりけり
流れくる もみぢ葉見れば 唐錦 滝の糸して 織れるなりけり
十月
滝に流れてくる紅葉の葉を見ると、まるで滝の糸で織った唐錦であるかのようだ。
滝の流れを「糸」に、紅葉の葉を「錦」に見立てての詠歌ですね。
九月
いづれをか はなとはわかむ ながつきの ありあけのつきに まがふしらぎく
いづれをか 花とはわかむ 長月の 有明の月に まがふ白菊
九月
どれを花と見分けようか。長月の有明の月の白い光に紛れている白菊を。
白菊が月光に白く照らされている幻想的な風景。「有明の月」ですから、空もほんのり白んじ始めている時刻なのかもしれませんね。貫之には次のような類歌もあります。
つきかげも はなもひとつに みゆるよは いづれをわきて をらむとぞおもふ
月影も 花もひとつに 見ゆる夜は いづれをわきて 折らむとぞ思ふ
(古今和歌六帖 第六「草」 第3736番)