かのかたに いつからさきに わたりけむ なみぢはあとも のこらざりけり
かの方に いつからさきに 渡りけむ 波路はあとも 残らざりけり
阿保経覧
あちら側に、いつの間に先に渡ったのだろうか。波の上には通った跡も残ってはいない。
「いつからさきに」に詠み込まれた「からさき(唐崎)」は琵琶湖西岸の地名。なので「かの方」は琵琶湖の対岸のことと思われますが、先に渡って行ってしまったのが誰(あるいは何)なのかは、この歌だけからはわかりません。
作者の阿保経覧(あぼ の つねみ)は平安時代前期の貴族にして歌人。古今集への入集はこの一首のみで、勅撰集では新拾遺和歌集にも一首が採録されています。
かぢにあたる なみのしづくを はるなれば いかがさきちる はなとみざらむ
かぢにあたる 波の雫を 春なれば いかが咲き散る 花と見ざらむ
兼覧王
楫に波があたってできるしぶきを春に見れば、どうしてそれが咲き散る花に見えないということがあろうか。
隠し題は「いかがさきちる」に詠み込まれた「いかがさき」。地名ですが、どこのことなのかはわかっていません。
第55代文徳天皇の皇孫である兼覧王(かねみのおほきみ)が4回目の登場。少し先になりますが、0779 では五首目が出てきます。古今集への入集はこの五首となります。
なみのおと けさからことに きこゆるは はるのしらべや あらたまるらむ
波の音 けさからことに 聞こゆるは 春のしらべや あらたまるらむ
安倍清行
波の音が今朝は違って聞こえるのは、立春を迎えて春の調べにあらたまったからであろうか。
詞書には「からことといふ所にて、春の立ちける日よめる」とあります。二句目の「けさからことに」のところ、歌意に沿えば「今朝から異に」ですが、ここに地名の「からこと(唐琴)」が詠み込まれています。ここからしばらく、地名を詠み込んだ物名歌が続きます。
作者の安倍清行(あべの きよゆき/きよつら)は平安時代前期の貴族にして歌人。古今集には本歌と 0556 の二首が入集しています。
あぢきなし なげきなつめそ うきことに あひくるみをば すてぬものから
あぢきなし 嘆きなつめそ 憂きことに あひくる身をば 捨てぬものから
兵衛
ただただ嘆いていても仕方がない。辛いことに遭うこの身を捨てることはできないのだから。
「なげきなつめそ」は、複合動詞「なげきつむ」+柔らかい禁止を表す「な・・・そ」(副詞「な」と終助詞「そ」の呼応)で、「嘆くでないぞ」といった意。隠し題は、「あじきなし」「なげきなつめそ」「あひくるみをば」のところに「梨」「棗」「胡桃」が詠み込まれています。ひとつ前 0454 の「まつ」もそうですが、この歌の「なし」をもって物名歌とするならば、世に物名歌があふれかえってしまいますね ^^;; ということは、これらが物名歌とされているのは、物名歌として詠んだということが作者自身によって宣言されているということなのでしょう。
作者の兵衛(ひょうえ)は、平安時代前期の貴族藤原高経(ふじわら の たかつね)の娘とされる人物で、高経が右兵衛督(うひょうえのかみ)であったことから「兵衛」と称されているようです。生没年等詳細は不明。古今集には、0789 に再度登場します。なお、父高経も後撰和歌集に一首が採録されている勅撰歌人です。