漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

かたじけなさに なみだこぼるる

2018-02-11 09:50:02 | 和歌

 なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる


 12世紀の歌人、西行法師が伊勢神宮を訪れたときに詠んだ歌とされます。伊勢神宮にお参りしたことのある人なら誰しも、自身の神道信仰の有無とは関係なく、おごそかな気持ちにさせられる経験をお持ちだと思いますが、まさにそうした気持ちを歌にしたものでしょう。

 とはいえ、いかに仏教に帰依する法師といえども、伊勢神宮にどなたが祭られているか知らなかった、ということはないと思いますので、冒頭の三句は、自分をここまで荘厳な気持ちにさせるものは何なのか、その本質的な正体(?)はわからないけれども、くらいの意味でしょうか。


 明治天皇の御製に

 めにみえぬ かみにむかひて はぢざるは ひとのこころの まことなりけり

という歌があるそうですが、この両方の歌には相通ずるものがあるのかもしれません。

(明治天皇御製は、「めにみえぬ かみのこころに かよふこそ ひとのこころの まことなりけり」 という資料もあるようです。)

古今和歌集を読む

2018-02-03 10:33:29 | 和歌
 古今和歌集を少しずつ読んでいるとご報告していましたが、通勤時間などを活用してようやく最初の二百首ほどまで進みました。高校時代に受験のための知識として選者や成立年、最初の勅撰和歌集であることなどは学習していましたが、中身を実際に見るのはほとんど初めてなので、今更ながらの個人的な「発見」もたくさんあります。例えば・・・


<真名序は巻末にある!?>
 古今和歌集にはかなで書かれた「仮名序」、漢字で書かれた「真名序」の二つの序文があることは知識として知っていましたが、購入した書籍(「新版 古今和歌集」高田祐彦訳注 角川ソフィア文庫)では「仮名序」は巻頭にある一方、「真名序」は巻末に置かれています。「序文なのに巻末!?」とびっくりしましたが、同じ書籍の解説によると、「真名序が先に書かれ、それを基に書かれた仮名序が正式の序文になった、という説が有力」で、「仮名序はすべての伝本に備わるが、真名序は欠けていたり巻末に置かれていたりするなど、扱いが不安定」なのだそうです。面白いですね。


<四季ではやはり春と秋の歌が多い>
 巻頭からの巻第一~第六の6巻が四季を歌ったもの。四季なのにどうして6巻あるかと言えば、春と秋がそれぞれ上下に分かれて2巻ずつあるからで、選定されている歌の数でも、夏歌34首、冬歌29首に対して春歌は134首、秋歌は145首と圧倒的に春と秋の歌が多くなっています。春と秋によりたくさんの歌が詠まれるというのは、感覚的に良くわかりますね。


<最多は恋の歌>
 春歌、秋歌以上に多いのが恋歌。巻第十一~第十五の5巻にわたり、360首もの歌が選定されています。男女の恋愛が数多く歌われるのは、今も昔も変わらないということですね。


<短歌だけではない>
 古今和歌集は万葉集と違い、選定されているのは短歌だけだと勝手に思い込んでいましたが、巻第十九「雑躰」には、長歌と旋頭歌(五七七五七七の六句からなる和歌)も採録されています。


・・・などなど。そんなことも知らなかったのかと言われそうで恥ずかしい「発見」も多いのですが、やはり何事も百聞は一見に如かずですね。(笑)

 一読して解説を読まずとも意味もわかり、よみ人の心をなぞらえられる、というような領域にはまだまだほど遠いですが、変体仮名の読みと同様、少しずつ学んでいければなと思っています。しばらく楽しめそうです。 ^^


古今和歌集

2018-01-21 09:09:43 | 和歌

『新版 古今和歌集』 高田祐彦 訳注  角川ソフィア文庫


 もともとは、和歌というものに人並以上の関心があったわけではなかったのですが、言葉や日本語とその周辺を学習していく中で接する機会が増え、一度それなりにきちんと触れてみたいなと思うようになっていました。特に最近は、日本語にある無数の言葉の中でも、漢語よりもやまとことばに魅かれる思いが強くなっていて、高校時代に「やまとうたは 人の心を種として・・・」とさわりを習った古今和歌集仮名序を思い出してもいました。

 ということで、入っていきやすそうに見えた書籍を購入しました。1,100首を超える歌とその解説・現代語訳、読み通せるかどうか、正直あまり自信はない(汗)のですが、少しずつでも、じっくり味わってみたいと思います。




「古今和歌集 仮名序」(冒頭部分)

 やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言い出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはずの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見える鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をもなぐさむるは歌なり。 

心癒やされる歌

2014-01-11 10:56:16 | 和歌

東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
(菅原道真)



しののめの ほがらほがらと あけゆけば おのがきぬぎぬ なるぞかなしき
(読み人知らず   古今和歌集 巻十三 恋歌三)



難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
(王仁   古今和歌集 仮名序)



世のなかも かくあらまほしき おだやかに 朝日にほへる 大海の原
ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ
(昭和天皇御製)



 2番目のは、「後朝(きぬぎぬ)」という熟字訓を調べるとしばしば紹介されていますね。

 私は特に和歌に造詣が深いわけでも、きちんと勉強したことがあるわけでもありませんが、やはりなにやら心に残る歌というのはあるものです。詠まれている情景や心情はご覧の通りさまざまですが、なんとなく共通点があるかな?