ぬれてほす やまぢのきくの つゆのまに いつかちとせを われはへにけむ
ぬれてほす 山路の菊の つゆのまに いつかちとせを われは経にけむ
素性法師
山路の菊の露に服が濡れてそれを干しているほんのわずかの間だというのに、私はいつの間に千年もの時を経てしまったのだろうか。
非常に難解です。詞書には「仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる」とあり、その意味は、咲いている菊の花を分け入って、人が仙人の住む宮殿に到達した、その「かた(州浜)」を見て詠んだということのようです。ひとつ前の 0272 から続く、州浜を鑑賞しての歌ですね。解説本などによれば、仙宮をかたどった州浜を見てそれに興じた作者が、菊の露の力によって仙人となり仙宮にたどり着いた者になりきって詠んだ歌とのこと。菊の花びらに降りた露を飲ませたら母親の病気が治ったという、中国の故事を踏まえています。
あきかぜの ふきあげにたてる しらぎくは はなかあらぬか なみのよするか
秋風の 吹き上げに立てる 白菊は 花かあらぬか 波の寄するか
菅原朝臣
秋風の吹く吹上の浜に咲く白菊は花であるのか、そうではなく海の波が寄せているのか。
白菊を海の白波に見立て、浜に咲いているのは白菊なのかそれとも打ち寄せる白波なのかと詠んでいますが、詞書によればこれは実際の風景ではなく「州浜」を見てのもの。「州浜」とは、今で言うジオラマ(模型)のようなもので、風景などを作り込んで眺めて楽しむものだったようです。
作者の「菅原朝臣(すがわらのあそん)」は菅原道真のこと。古今集にはこの歌の他に、百人一首(第24番)にも採られて著名な次の歌も入集しています。(0420)
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
また個人的には、拾遺和歌集に収録されている次の歌が心に残ります。大宰府に左遷されることとなり、失意の旅立ちに際して自宅の庭の梅を見やって詠んだもの。とても切ない心情です。なお、第五句の「はるをわするな」は後には「はるなわすれそ」と表記されるようになりました。そちらの方が良く知られていますね。
こちふかば にほひおこせよ うめのはな あるじなしとて はるをわするな
東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
(拾遺和歌集 巻十六「雑春」)
うゑしとき はなまちとほに ありしきく うつろふあきに あはむとやみし
植ゑし時 花待ち遠に ありし菊 うつろふ秋に あはむとや見し
大江千里
植えたときには花が咲くのを待ち遠しく感じた菊。秋になって、その菊が色褪せていくのを見ることになろうなどとは思わなかったことだ。
歌の字句を現代の感覚で素直に読んでいくとこのような解釈になるかと思いますが、一方で菊は他の花と異なり、美しく色変わりをするのが賞美されもする花です。このことを踏まえると、この歌も「秋になってこれほど美しく色変わりするのを見られるとは、花が咲くことばかりを待ち遠しく思って植えたときには思いもしなかったことだ」との解釈がなされることもあるようです。私自身は実体験がないのですが、「美しく色あせる菊」を間近に見る機会を経たならば、自分としての歌の解釈も後者の方に寄っていくのかもしれません。