あきはぎの はなをばあめに ぬらせども きみをばまして をしとこそおもへ
秋萩の 花をば雨に ぬらせども 君をばまして 惜しとこそ思へ
紀貫之
秋萩の花が雨に濡れたのは惜しいことでしたが、あなた様との別れの方がなお一層惜しいことに思われます。
この歌は、兼覧王(かねみのおほきみ)に対する贈答歌で、この次の 0398 がこれに対する兼覧王からの返しとなっています。
あきはぎの はなをばあめに ぬらせども きみをばまして をしとこそおもへ
秋萩の 花をば雨に ぬらせども 君をばまして 惜しとこそ思へ
紀貫之
秋萩の花が雨に濡れたのは惜しいことでしたが、あなた様との別れの方がなお一層惜しいことに思われます。
この歌は、兼覧王(かねみのおほきみ)に対する贈答歌で、この次の 0398 がこれに対する兼覧王からの返しとなっています。
あかずして わかるるなみだ たきにそふ みづまさるとや しもはみるらむ
あかずして 別るる涙 滝にそふ 水まさるとや 下は見るらむ
兼芸法師
まだ飽き足らないのに別れる悲しさで流れる涙が滝の水に加わる。下流では、滝の水が増えたと思うのであろうか。
作者の兼芸法師(けんげいほふし)は、9世紀後半を生きた人物のようですが詳細はわかっていません。古今集には三首入集しています。
ことならば きみとまるべく にほはなむ かへすははなの うきにやはあらぬ
ことならば 君とまるべく にほはなむ 帰すは花の 憂きにやはあらぬ
幽仙法師
同じ咲くならば、あの方がとどまってくださるように咲き匂っておくれ。そうできずに帰らせてしまうのならば、花として憂いに思わなければならないのではないか。
幽仙法師の歌が 0393 に続いての登場。ここまでの三首、去ってほしくない人をとどめることを花にゆだねる詠歌が続きました。
やまかぜに さくらふきまき みだれなむ はなのまぎれに たちどまるべく
山風に 桜吹きまき 乱れなむ 花のまぎれに 立ちどまるべく
僧正遍昭
山風に吹かれて桜が散り乱れてほしいものだ。舞い散る花びらに道が見えなくなって、帰っていく人々が立ち止まってくれるように。
一つ前の 0393 と同じく、帰って行く人々の足止めを桜にゆだねる想いを詠んでいます。もちろん誇張表現ではあるでしょうけれど、帰り道がわからなくなるほどの桜吹雪とはどれほどのものでしょうか。美しい平安絵巻の情景が目に浮かびますね。^^
わかれをば やまのさくらに まかせてむ とめむとめじは はなのまにまに
別れをば 山の桜に まかせてむ とめむとめじは 花のまにまに
幽仙法師
別れは山の桜にまかせてしまいましょう。引き留められるか否かは、花にどれだけ魅かれるか次第ということで。
山桜の美しさを愛でると同時に、その美しさで人々を魅了して、別れの時を少しでも先延ばしさせてほしいとすがる想いですね。
作者の幽仙法師は、藤原北家の末裔に属する僧侶。古今集には、この歌と 0395 の二首が入集していますが、勅撰和歌集全体で見ても採録はこの二首のみのようです。