漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0336

2020-09-30 19:39:20 | 古今和歌集

うめのかの ふりおけるゆきに まがひせば たれかことごと わきてをらまし

梅の香の 降りおける雪に まがひせば 誰かことごと わきて折らまし

 

紀貫之

 

 梅の香りが降る雪にまぎれてしまったならば、一体誰が雪と梅を区別して枝を折ることができようか。

 さっと一読した際には、白梅が白雪にまぎれて見えなくなっている情景を思い浮かべましたが、改めて読むと紛れているのは梅の姿ではなく香り。姿が見えなくなっても香りでそれとわかる梅が、その香りまでも雪に閉じ込められてしまったということでしょうか。一つ前の 0335 が、雪で姿を見せられないならせめて香れと詠んでいるのに対して、その香りまでも、という自らの歌を配列した撰者紀貫之の趣向ですね。

 


古今和歌集 0335

2020-09-29 19:36:47 | 古今和歌集

はなのいろは ゆきにまじりて みえずとも かをだににほへ ひとのしるべく

花の色は 雪にまじりて 見えずとも 香をだににほへ 人の知るべく

 

小野篁

 

 花の色は降る雪に隠れて見えないとしても、せめて香だけでも匂っておくれ。そこに梅の花があると人にわかるように。

 詞書には「梅の花に雪の降れるをよめる」とあります。咲いているのに姿の見えない梅の花を、せめてその香りだけでも感じたい、という主題は、0091 の歌と共通しますね。

 

はなのいろは かすみにこめて みせずとも かをだにぬすめ はるのやまかぜ

花の色は 霞にこめて 見せずとも 香をだにぬすめ 春の山風


良岑宗貞

 

 作者の小野篁(おの の たかむら)は、初登場。平安時代初期の貴族で、その中でも「公卿」と総称される高い地位を得た人物ですが、一時期は天皇の怒りをかって隠岐に流されるなど、波乱の人生を送っています。歌人としては、古今集に六首が入集。流罪となり隠岐に渡る際に詠んだ 0407 は百人一首(第11番)にも採録されています。

 

わたのはら やそじまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人にはつげよ 海人の釣り舟

 

 


古今和歌集 0334

2020-09-28 19:23:43 | 古今和歌集

うめのはな それともみえず ひさかたの あまぎるゆきの なべてふれれば

梅の花 それとも見えず ひさかたの 天霧る雪の なべて降れれば

 

よみ人知らず
ある人のいはく、柿本人麿が歌なり

 

 そこに梅の花があるのに、そうとわからない。空を霧のように曇らせる雪が一面に降っているから。

 「天霧る」は雲や霧などで空一面が曇る意。「なべて」は「一面に」。柿本人麿作との説があるとの左注が付されていますが、万葉集の人麿歌の中には見えないようです。


古今和歌集 0333

2020-09-27 19:14:42 | 古今和歌集

けぬがうへに またもふりしけ はるがすみ たちなばみゆき まれにこそみめ

消ぬがうへに またも降りしけ 春霞 立ちなばみ雪 まれにこそ見め

 

よみ人知らず

 

 まだ消えずに残っている上にさらに降っておくれ。春霞が立ったら、もう雪を見ることができなくなってしまうから。

 「みゆき」は「深雪」でしょうか。素直に読めば、春の訪れが近づいて雪景色を名残惜しく思う気持ちですが、雪の降り積もる日に一夜を共にし、春になれば遠くに行ってしまう愛しい人を想う詠歌と考えるのは深読みがすぎるかな?

 


古今和歌集 0332

2020-09-26 19:01:12 | 古今和歌集

あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

 

坂上是則

 

 夜が明けて空がほのかに明るくなり、有明の月かと思うほどに吉野の里に降る白雪であることよ。

 0325 ですでにご紹介しました、百人一首第31番にも採られた名歌ですね。「有明の月」は、夜明けの空にまだ残ってしらじらと光っている月のことで、満月以降の月齢の月の総称です。