漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0306

2020-08-31 19:09:12 | 古今和歌集

やまだもる あきのかりいほに おくつゆは いなおほせどりの なみだなりけり

山田もる 秋のかりいほに 置く露は いなおほせどりの 涙なりけり

 

壬生忠岑

 

 山田を守る秋の仮小屋に置く露は、いなおほせどりの涙なのだなあ。

 古今三鳥の一つ、「いなおほせどり」が 0208 に続いての登場。歌合せの場での詠進とのことですので、想像で詠んだものか、あるいは過去にそこに居合わせたことのある情景でしょうか。収穫の時期を迎え、仮小屋で山田を守るちょうどその時節の頃、いなおほせどりの来訪があるのでしょう。

 それにしても古今三鳥(いなおほせどり、よぶこどり、ももちどり)がいずれも具体的にどの鳥のことなのか明確にはわからないというのは、ちょっと不思議な気がしますね。古今伝授自体が秘伝とされたためもあるのでしょうか。

 

 8月も今日でお仕舞。一日一首の古今和歌集も、始めてからちょうど10か月になりました。地道に続けていきたいと思いますので、気の向かれた際にはどうぞご来訪ください。

 

 


古今和歌集 0305

2020-08-30 19:36:12 | 古今和歌集

たちとまり みてをわたらむ もみぢばは あめとふるとも みづはまさらじ

立とまり 見てを渡らむ もみぢ葉は 雨と降るとも 水はまさらじ

 

凡河内躬恒

 

 立ち止まって、紅葉が散るさまを見てから川を渡ろう。雨のように降ったとしても、紅葉の葉で川の水かさが増すことはないのだから。

 詞書には、川を渡ろうとする人が紅葉の散る木のもとに馬を控えさせている屏風絵を見て詠んだ歌との趣旨が書かれています。0293 の素性法師の歌と同じく屏風歌ということですね。

 


古今和歌集 0304

2020-08-29 19:06:14 | 古今和歌集

かぜふけば おつるもみぢば みづきよみ ちらぬかげさへ そこにみえつつ

風吹けば 落つるもみぢ葉 水きよみ 散らぬ影さへ 底に見えつつ

 

凡河内躬恒

 

 風が吹いて落ちた紅葉の葉が池の水面に浮かび、その水が澄んでいるのでまだ散っていない枝の葉までもが水底に映って見えている。

 詞書に「池のほとりにて紅葉の散るをよめる」とあります。散って水面に浮かぶ葉を眺めていて、よく見ると水底にはまだ枝についている葉までもが映って見えている。まだ枝についている葉もそう時を経ずして散っていくことを思わされ、秋の深まりをさらに感じざるを得ない心持ちでしょうか。


古今和歌集 0303

2020-08-28 19:43:10 | 古今和歌集

やまがはに かぜのかけたる しがらみは ながれもあへぬ もみぢなりけり

山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

 

春道列樹

 

 谷川に風がかけた柵(しがらみ)とは、流れていくこともできない紅葉の葉なのだった。

 「しがらみ」は流れをせき止めるために川の中に杭を打って竹などで作られるもの。流れて行かずに滞っている紅葉の葉を、流れをせき止めるしがらみと見立てた。それほどまでにたくさんの葉が川を覆っている情景ですね。

 作者の春道列樹(はるみちのつらき)は平安時代前期の官人。古今和歌集には、本歌を含めて三首が入集しています。中でもこの歌は百人一首(第32番)にも採られた名歌ですね。

 


古今和歌集 0302

2020-08-27 19:41:40 | 古今和歌集

もみぢばの ながれざりせば たつたがは みづのあきをば たれかしらまし

もみぢ葉の 流れざりせば 竜田川 水の秋をば 誰か知らまし

 

坂上是則

 

 紅葉の葉が流れなかったならば、竜田川の水に秋が来ていることを一体誰が知ることができるだろうか。

 「水の秋」は、水それ自体にも季節の移ろいがあるとみなしての語。紅葉の葉が流れていようがいまいが水に秋は来ているのだけれど、紅葉がなければ一体誰がそれを知ることができようか、というわけですね。ご紹介するのはかなり先になりますが、0459 には「水の春」の歌も登場します。

 

なみのはな おきからさきて ちりくめり みづのはるとは かぜやなるらむ

波の花 沖から咲きて 散り来めり 水の春とは 風やなるらむ

 

伊勢