なにはがた うらむべきまも おもほえず いづこをみつの あまとかはなる
難波潟 うらむべきまも おもほえず いづこをみつの あまとかはなる
よみ人知らず
あなたに恨まれるような、そんな無沙汰をした覚えはありません。いった何を見て、御津の漁師ならぬ三津寺の尼になられたのでしょうか。
前歌への返しで、0973 と同様に「浦」「恨(み)」、「見つ」「御津」、「海人」「尼」がそれぞれ掛詞になっています。
なにはがた うらむべきまも おもほえず いづこをみつの あまとかはなる
難波潟 うらむべきまも おもほえず いづこをみつの あまとかはなる
よみ人知らず
あなたに恨まれるような、そんな無沙汰をした覚えはありません。いった何を見て、御津の漁師ならぬ三津寺の尼になられたのでしょうか。
前歌への返しで、0973 と同様に「浦」「恨(み)」、「見つ」「御津」、「海人」「尼」がそれぞれ掛詞になっています。
われをきみ なにはのうらに ありしかば うきめをみつの あまとなりにき
われを君 なにはの浦に ありしかば うきめをみつの あまとなりにき
よみ人知らず
あなたが私のことを何とも思ってくれないのを恨んで、御津の漁師が浮き布を見るがごとく、私も憂き目を見て、三津寺の尼になってしまいました。
「難波」と「何」、「浦」と「恨(み)」、「浮き布」と「憂き目」、「見つ」と「御津(三津)」、「海人」と「尼」と掛詞が多用され、歌意がわかりづらい歌となっています。そのためか、「このうたは、ある人、昔男ありける女の、男とはずなりにければ、難波なる三津の寺にまかりて、尼になりて、よみて男につかはせりけるとなむいへる」との長い左注がついていて解釈を助けてくれています。この歌を届けられた男からの返しが次の 0974 です。
のとならば うづらとなきて としはへむ かりにだにやは きみがこざらむ
野とならば 鶉と鳴きて 年は経む かりにだにやは 君が来ざらむ
よみ人知らず
ここが野となったならば、私は鶉(うずら)となって悲しいと鳴きながら長い年月を過ごすことでしょう。仮そめにでもあなたが狩りにやってこないなどということはないでしょうから。
0971 への返しで、両歌は伊勢物語第123段に採録されています。「鶉(うずら)」の「う」には「憂」が掛かり、「かり」は「仮」と「狩り」の掛詞ですね。また、この歌を本歌取りした藤原俊成の歌はつとに有名です。
ゆふされば のべのあきかぜ みにしみて うづらなくなり ふかくさのさと
夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里
(千載和歌集 巻第五「秋上」 第259番)
としをへて すみこしさとを いでていなば いとどふかくさ のとやなりなむ
年を経て 住みこし里を 出でていなば いとど深草 野とやなりなむ
在原業平
何年もの間ともに住んできたこの里を出て行ったならば、深草という名のとおり、いよいよ草深い野になってしまうだろうか。
詞書には「深草の里に住みはべりて、京へまうで来とて、そこなりける人によみておくりける」とあります。「まうで来」は移り住む意。地名の「深草」を詠み込むとともに、「いとど」という副詞を付することで「草深い」意ももたせています。次の 0972 がこの歌への返しになっており、合わせて伊勢物語第123段に収録されています。
わすれては ゆめかとぞおもふ おもひきや ゆきふみわけて きみをみむとは
忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏みわけて 君を見むとは
在原業平
現実であることをふと忘れては夢かと思う。かつて思ったことがあったでしょうか。雪を踏み分けてあなたに会いに行くことになろうとは。
長い詞書には「惟喬親王のもとにまかりかよひけるを、頭おろして小野といふ所にはべりけるに、正月にとぶらはむとてまかりたりけるに、比叡の山の麓なりければ、雪いと深かりけり。しひてかの室にまかりいたりてをがみけるに、つれづれとして、いとものがなしくて、帰りまうできて、よみておくりける」とあります。出家して比叡山の麓に隠棲している親王のもとを訪ねると、そこは雪深いところで、物寂しそうな様子の親王を見て、詠んで送った歌、ということですね。伊勢物語では第83段に載っています。