流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

湊川神社

2019-01-02 | 神社・寺院
神戸市中央区多聞通にある「湊川神社」に初詣へ行ってきました。

湊川(みなとがわ)神社は、武将・楠木正成を祭る神社です。
地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれています。
建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社とのこと。

※建武中興十五社:建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社
※旧社格(近代社格制度):明治維新以降、『延喜式』に倣って新たに神社を等級化した制度


楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将です。
後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに天皇を助けました。
足利尊氏の反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害しました。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)に正一位を追贈されました。


「御墓所」(史蹟・楠木正成墓碑)
楠木正成公(大楠公)は永仁2年(1294年)、河内国赤坂水分(現在:大阪府南河内郡千早赤阪村)にて生誕しました。
この地の豪族の出身だと伝えられています。


「徳川光圀公銅像」
御墓所には、徳川光圀公(水戸黄門)の銅像があります。
光圀公は、水戸藩主を辞して西山荘(せいざんそう)に隠居(いんきょ)された後も、大日本史の編纂(へんさん)を行いました。
楠木正成公をひたすらお慕いされ、墓碑『嗚呼忠臣楠子之墓』を建立しました。
これら御事蹟は天下に顕彰され、偉大な御功績を残されました。
此の御功績を追慕して御尊の建設が尊願され、昭和30年7月に完成しました。
銅像の原型は、平櫛田中の作で、その頌徳碑(しょうとくひ)は、徳富蘇峰(とくとみそほう)の文によるものです。


「明治天皇御製 湊川懐古」
~あだ波を ふせぎし人は みなと川 神となりてぞ 世を守るらむ~
明治天皇にとって、建武中興の際に醍醐天皇を楠木正成公が支えたように見守って欲しいという気持ちの表れと思われます。

後醍醐天皇の大恩に背くことが出来ず、ひたすら忠義を貫き、かつての同士であった足利尊氏と戦う道を選んだ楠木正成公の胸中は如何に?
当地の湊川での戦いに敗れ、散って逝った楠木正成公ですが、今では多くの人々から敬愛され、語り継がれています。


亥(い、がい)は十二支の一つとして、所謂「猪(いのしし)」です。
通常十二支の中で第12番目に数えられます。
『亥』ともされる動物の『猪』の肉には万病さえも防ぎ予防する力があるとされており、亥年には無病息災の意味もある年だそうです。


「社殿」
現在の社殿は、戦災によって焼失したものを昭和27年10月24日に復興新築されたものです。
様式は権現造(ごんげんづくり)に似た八棟造り(はちむねづくり)とされ、鉄筋コンクリート造で建てられています。
戦後の新しい神社建築様式としての代表的な建物と言われています。

由緒ある神社にお参り出来たことに感謝です。
ありがとうございました。
☆゚+。*゚(*´д`良い年になりますように´д`*)゚*。+゚☆

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