11月23日(木曜日)、陸上自衛隊宇治駐屯地において創立記念行事が開催されました。
当地は、京都府宇治市五ヶ庄官有地に所在する陸上自衛隊の駐屯地です。
同駐屯地内にある「展望塔」を見学しました。
歴史的な遺構であり、宇治駐屯地のシンボルでもある建物です。
「展望塔」
明治28年、『陸軍砲兵工廠宇治火薬製造所』の水槽塔として建てられました。
当時は、4階建てのレンガ積み(イギリス積み)の部分が20.5mでした。
更にその上に3mの水槽部分があり、屋根を含めると30mの高さでした。
終戦後、当時の東宇治町(宇治市のうち宇治川右岸)の給水施設として使用
昭和45年3月、宇治駐屯地に移譲
昭和56年3月、水槽部分の腐食が進み、危険なために水槽部分を撤去
平成6年3月、展望部分を設置し、高さ26mの建物になりました。
展望台からの撮影は禁止でした。
聞けば、近隣住民の方々に対する配慮だそうです。
宇治火薬製造所では、原料等の運搬にトロッコを使用していたとのこと。
トロッコ:推定1/3程度に縮小して復元したもの。
線路:明治27年頃から使用されていたもの。(発掘した線路を研磨、塗装し復元)
歴史有る駐屯地を訪れ、非常に意義のある見学でした。
宇治駐屯地の皆様、ありがとうございました。
以上で宇治駐屯地シリーズを終了します。
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・
当地は、京都府宇治市五ヶ庄官有地に所在する陸上自衛隊の駐屯地です。
同駐屯地内にある「展望塔」を見学しました。
歴史的な遺構であり、宇治駐屯地のシンボルでもある建物です。
「展望塔」
明治28年、『陸軍砲兵工廠宇治火薬製造所』の水槽塔として建てられました。
当時は、4階建てのレンガ積み(イギリス積み)の部分が20.5mでした。
更にその上に3mの水槽部分があり、屋根を含めると30mの高さでした。
終戦後、当時の東宇治町(宇治市のうち宇治川右岸)の給水施設として使用
昭和45年3月、宇治駐屯地に移譲
昭和56年3月、水槽部分の腐食が進み、危険なために水槽部分を撤去
平成6年3月、展望部分を設置し、高さ26mの建物になりました。
展望台からの撮影は禁止でした。
聞けば、近隣住民の方々に対する配慮だそうです。
宇治火薬製造所では、原料等の運搬にトロッコを使用していたとのこと。
トロッコ:推定1/3程度に縮小して復元したもの。
線路:明治27年頃から使用されていたもの。(発掘した線路を研磨、塗装し復元)
歴史有る駐屯地を訪れ、非常に意義のある見学でした。
宇治駐屯地の皆様、ありがとうございました。
以上で宇治駐屯地シリーズを終了します。
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・
おそらくですが1階部分には最初に水を受けるための受水槽が有ってその水を上部の高置水槽に汲み上げるポンプ室とかそれを動かすための電気室や制御室とかも併設されていたのでしょうけど舞鶴の赤レンガ倉庫群にも引けをとらない美しさですね。
仕事柄、引きつけられます(^_^)v
戦跡と呼ぶよりも『産業遺跡』だと思いました。
これは一見の価値有りです。
。゚+.ハ─ヾ(*´∀`*)ノ─イ.+゚。