今日(6/7)は、航空自衛隊防府北基地にて開催された「防府航空祭」へ行ってきました。
当地は、山口県防府市田島に所在する航空自衛隊の基地です。
石碑「俊鷲揺籃之地」
同基地には、航空自衛隊パイロットを養成する部隊である第12飛行教育団が配置されています。
石碑「慰霊之碑」
石碑「飛行第五十一戦隊記念碑」
<碑文から引用〉
昭和19年 4月 小月で編成
昭和19年 6月 防府へ移駐
昭和19年 9月 主力が比島へ移動、残留部隊は関門地区防空 特攻支援
昭和19年12月 主力帰国 茨城県下館へ移動 主都防空
昭和20年 8月15日 九州沖縄地区へ移動中終戦
初代戦隊長 陸軍中佐 中島光夫
二代戦隊長 陸軍中佐 池田忠雄
「本部庁舎」
当地は、昭和19年4月に陸軍防府飛行場として開設
終戦後は、米軍に接収
昭和30年、第1操縦学校(本校:小月基地)の分校として防府飛行場に開設され、飛行訓練を開始
昭和34年、航空自衛隊防府北基地の開設
その際、第1操縦学校は廃止され、第12飛行教育団として再編成されて現在に至る
○常設展示機コーナー
航空自衛隊の退役航空機が展示されています。
支援戦闘機「F-1」(10-8256)
練習機「T-1A」(15-5816)
全天候要撃戦闘機「F-86D」(04-8203)
練習機「T-33A」(51-5632)
初等練習機「T-34A」(41-0309)
初等練習機「T-3」(81-5506)
T-34AとT-3の編隊飛行風の組み合わせが良いですね。(^_^)
○航空学生顕彰館
航空学生出身殉職隊員の慰霊、航空学生の功績に対する顕彰、航空学生出身者の心の拠り所、航空学生制度
及び航空自衛隊の募集広報に資することを目的として平成13年6月に落成されました。
「初級操縦課程の教官パイロットと航空学生生のブロンズ像」
航空学生制度創設50周年を記念して平成17年に建立されました。
航空自衛隊の操縦者の証であるウイングマークのモニュメントが展示されています。
「航空学生教育群旗」
描かれている双頭の鷲は“団結と伝統”を象徴していいます。
「航空学生のあゆみ(年表)コーナー」
「3気精神」
航空学生に対する指導方針として示されたものです。
「FLYING GUYS」
航空学生出身者のネームバッジに使用しているマーク
「飛行部隊紹介コーナー」
「飛行服(旧)」(左側)、「飛行服(ブルーインパルス)」(右側)
「飛行服の変遷」
「飛行隊識別帽子」
「顕彰室」
殉職された航空学生出身者の遺影が安置されています。
関係者以外の立ち入りは出来ません。
「厚生センター」
コンビニエンスストア“ポプラ”が営業されていました。
石碑「雄飛」
昭和49年10月、航空学生の勇ましい勢い盛んを願って建立されました。
要撃戦闘機「F-104J」(36-8537)
航空学生制度は、昭和30年6月2日、当時の防府基地(現在の防府南基地)において「操縦学生基本課程」へ
第1期操縦学生207名が入校したところから、航空自衛隊の操縦者を養成する制度として発足しました。
現在、航空自衛隊の操縦者の約60%を航空学生出身者の操縦者が占めているそうです。
当地がパイロット養成の場であることをあらためて認識しました。
この後は、メイン会場であるエプロンへと移動します。つづく・・・(^_^¥
当地は、山口県防府市田島に所在する航空自衛隊の基地です。
石碑「俊鷲揺籃之地」
同基地には、航空自衛隊パイロットを養成する部隊である第12飛行教育団が配置されています。
石碑「慰霊之碑」
石碑「飛行第五十一戦隊記念碑」
<碑文から引用〉
昭和19年 4月 小月で編成
昭和19年 6月 防府へ移駐
昭和19年 9月 主力が比島へ移動、残留部隊は関門地区防空 特攻支援
昭和19年12月 主力帰国 茨城県下館へ移動 主都防空
昭和20年 8月15日 九州沖縄地区へ移動中終戦
初代戦隊長 陸軍中佐 中島光夫
二代戦隊長 陸軍中佐 池田忠雄
「本部庁舎」
当地は、昭和19年4月に陸軍防府飛行場として開設
終戦後は、米軍に接収
昭和30年、第1操縦学校(本校:小月基地)の分校として防府飛行場に開設され、飛行訓練を開始
昭和34年、航空自衛隊防府北基地の開設
その際、第1操縦学校は廃止され、第12飛行教育団として再編成されて現在に至る
○常設展示機コーナー
航空自衛隊の退役航空機が展示されています。
支援戦闘機「F-1」(10-8256)
練習機「T-1A」(15-5816)
全天候要撃戦闘機「F-86D」(04-8203)
練習機「T-33A」(51-5632)
初等練習機「T-34A」(41-0309)
初等練習機「T-3」(81-5506)
T-34AとT-3の編隊飛行風の組み合わせが良いですね。(^_^)
○航空学生顕彰館
航空学生出身殉職隊員の慰霊、航空学生の功績に対する顕彰、航空学生出身者の心の拠り所、航空学生制度
及び航空自衛隊の募集広報に資することを目的として平成13年6月に落成されました。
「初級操縦課程の教官パイロットと航空学生生のブロンズ像」
航空学生制度創設50周年を記念して平成17年に建立されました。
航空自衛隊の操縦者の証であるウイングマークのモニュメントが展示されています。
「航空学生教育群旗」
描かれている双頭の鷲は“団結と伝統”を象徴していいます。
「航空学生のあゆみ(年表)コーナー」
「3気精神」
航空学生に対する指導方針として示されたものです。
「FLYING GUYS」
航空学生出身者のネームバッジに使用しているマーク
「飛行部隊紹介コーナー」
「飛行服(旧)」(左側)、「飛行服(ブルーインパルス)」(右側)
「飛行服の変遷」
「飛行隊識別帽子」
「顕彰室」
殉職された航空学生出身者の遺影が安置されています。
関係者以外の立ち入りは出来ません。
「厚生センター」
コンビニエンスストア“ポプラ”が営業されていました。
石碑「雄飛」
昭和49年10月、航空学生の勇ましい勢い盛んを願って建立されました。
要撃戦闘機「F-104J」(36-8537)
航空学生制度は、昭和30年6月2日、当時の防府基地(現在の防府南基地)において「操縦学生基本課程」へ
第1期操縦学生207名が入校したところから、航空自衛隊の操縦者を養成する制度として発足しました。
現在、航空自衛隊の操縦者の約60%を航空学生出身者の操縦者が占めているそうです。
当地がパイロット養成の場であることをあらためて認識しました。
この後は、メイン会場であるエプロンへと移動します。つづく・・・(^_^¥
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