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一度目の退院

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<・・・一年前>

・・・2006年 2月17日


退院が17日に決まった。

決まると退院に向けてやる事がたくさんある。
まず、薬を良く把握しなければならない。
外泊が始まった頃から、看護婦さんと薬剤師さんに教わってきたので、
少しはわかっていたつもりだったが、いざ退院となると簡単に考えるこ
とができず、何度もパンフレットを読み返していた。

そして血糖値の測定器のレンタル。
インスリンは処方されるが、機器類はレンタル。
これはH大病院の場合、第二内科の管轄となる。
以後の外来受診も、この件に関しては第二内科を受診することになる。

あと栄養相談も。
主に食事で注意しなければならないこと。
でもこれは、話しを聞いていて、あちら注意すればこちらかなわず、で
何を食べたら良いのかわからなくなった。
要するに、栄養があって新鮮なものを食べていれば間違いない、と勝手
に解釈してしまった。


14日には肝生検。
この時の先生の話しでこれまでの過程がやっと少しわかった。

・放射線科での治療を考慮しているうちに、それまで停滞していた肝機
 能値が、どんどん良くなってきたこと。
・それはおそらく、1月末から服用を始めた「アミノレバン」が有効に
 働いたのではないか、ということ。
・ただ、その状況があくまでも薬によって保持されているもので、今後
 シャントを閉じる必要性があるかもしれない、ということ。

こんな内容だったと思う。

どうしても引っ掛かるのはシャントの手術のこと。
そしてず~っとず~っと引きずることになる。


この日は(14日)、同室の3人が次々と退院していった。
今までも何度も4人部屋に1人になったことがあったが、それまでと違
って自分も退院を控える身、寂しさは無かった。

それから前日・当日までMRI、CT検査など受けつつ、2月17日、
やっと退院の日を迎えることができた。



2005年8月17日の突然の入院から、ちょうど半年が経っていた。
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