新緑の 瀑布のごとく 湧き出でり
梅士 Baishi
草莽崛起というが、草木がわき出るように新緑を伸ばして
いる。
戦前の日本もそのようであったかもしれない。
戦死した人々を思えば、敗戦に屈するわけには行かなかっ
たであろう。
決死の思いに変わるところはなく、死を恐れることもなかっ
たであろう。
戦後七十年の今日にあってもなお、英霊の死を担っている
と思う。
その気持ちは、日本を滅ぼすという反日左翼の恨みと裏切
りの心情ではなく、英霊たちと同じく、欧米の植民地支配から
日本を守り、アジアを解放したいと言う大義を貫くことにこそ、
責任を感じるものである。
加納治五郎の柔道精神は、「なにくそっ」という不屈の精神
だったそうであるが、チャレンジと試練あってこそ、その鮮度が
保たれていたのだろう。
『勝って、勝ちに傲ることなく、負けて、負けに屈することなく、
安きにありて、油断することなく、危うきにありて、恐れることも
なく、ただ、ただ、一筋の道を踏んでゆけ』という言葉も、人生
是修行の精神であろう。
負けることで潔い謙虚と礼節を学び、勝つことで師範としての
責任を担うものであろう。
戦いの本質は、己の弱さとの戦いである。
強さは美しさでもある。
そこに、武道の意義がある。
スポーツギャンブルでスポーツ振興をというスポーツに対する
侮辱を許してはならない。
スポーツの意義は、心身の鍛練を通して学ぶ健全な精神と美
意識であり、競争社会の在り方を教える礼節と大義であり、運動
体としての心身の健康保持・病気予防にある。
すなわち、修行、教育、健康生活というところに現代的意義が
ある。
病気をしてからの医療に五十兆円もの公費が支払われている
のに対して、スポーツには千分の一ほどの予算しか当てられて
いないのである。
しかも、その予算をスポーツ賭博で賄おうというのである。
所詮、スポーツは、国民娯楽だという程度の価値観しかないと
いうことである。
スポーツ関係者よ、こうした状況を放置することを恥とせよ!
スポーツという言葉には違和感を感じるものであるが、武道と
言うべきかもしれない。
過剰医療を大幅にリストラし、健康医療というべき武道に投資
させるべきである。
国民の教育と健康を守ることには、優先度の高い国家責任が
あるのである。
スポーツ・武道の推進は、文科省がするべきではない。
医療と一本化し、厚生労働省管轄とするのがよいだろう。
スポーツ環境整備事業は、民間の推進団体に委託されるべき
である。
戦後七十年、ぶよぶよの心身を恥じ、心身の鍛練から出直す
のがよかろう。
一時間の散歩を怠る者は、十年の病床に苦しむ。
まずは、ウォーキング&ジョギング環境の整備から始めるべし。
同時に、小学校からの武道教育を推進するべきである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党