初夏の湯に 座りて海を 望みたり
中村 梅士 Baishi
連休に近場の宿がとれた。
いつもの志賀島である。
朝風呂にゆったりと浸かり、広々としたロビーの椅子
に安楽して雨の松林と大海を眺めている。
非日常の、なんとも贅沢なひと時である。
昨日は渡れそうで渡れなかった鳥居のある小島に渡っ
た。
大潮の干潮で、ひざ下をまくりあげて浅瀬を渡れたの
である。
鳥居をくぐり、上まで上ると、墓の跡のようだった。
地元の墓地かと思って再び鳥居を抜けた。
潮が満ちないうちに戻ろうと思ったが、小さな島のこ
と、島一周をすることにした。
海岸は、丸まった大きな石が積み重なり、浸食された
島の地層がむき出しになっていた。
三点支持で無事一周した。
あっという間だった。
再び、潮に足を浸して対岸に渡った。
宿で島の名前を聞いたら、沖津宮だという。
万葉以前の海人の聖域である。
その近くに中津宮があるという。
今朝は雨の合間に中津宮を目指した。
なんと、すぐ近くにあるのだった。
中津宮は6世紀ころの円墳で、安曇族の長老の墓だっ
たようだ。
すでに、鉄器が納棺されていたらしい。
九州の歴史の深さを感じさせる近代遺跡である。
なぜ近代か、九州文明の歴史は、ムーが沈んだ1万5
千年前にはすでにムー文明が伝わっていたらしいからで
ある。
神宮皇后の三韓征伐を支えたのも、志賀島や宗像の海
族である。
今日は雨も上がったようだし、島を縦断して志賀海神
社まで参拝したい。
これで、志賀海神社の三宮を参拝したことになるから
である。
山上憶良も同様に、志賀島を訪れたに違いないのだ。
政治的論点は、多岐にわたるが、なかなか進展しない
ことばかり、理不尽なままにあいまいにされることばかり、
暖簾に腕押し、糠に釘である。
人民民主党の菅元総理の原発事故責任は甚大である。
それを東電の責任に転嫁していることも許しがたい。
東電といっても、行政とは不可分の公共事業であるが、
責任の所在ははっきりさせるべきである。
小池知事が築地市場移転にいちゃもんをつけて、大幅
に計画を遅らせ、無益な経費を民間企業にも与えている
ことは、謝罪して済むことではあるまい。
政治責任問題である。
結果、なんら有益な価値を生まなかった選挙対策だっ
たと言わざるを得なかったのだ。
むしろ、極左政党「リッケンミンシュ党」を生みだし
た。
ジョンジョンの責任は、北の問題だが、日本にも多大
な損失を与えた。
その責任追及もないままに、今は英雄のごとくふるま
っている。
正義とは何か、政治の生命線である。
正義の観点から、政治責任課題を論議してはいかがか。
といっても、正義を犠牲にした政治家ばかりでは何と
もならないことであるが。
つまり、アパシーの政治状況が民主主義の終焉を告げ
ているということである。
神聖民主主義を憲法テキストに加えるべきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party