歴史的建造物が立ち並ぶ「西部地区」にある「元町公園」。
今では市民や観光客の憩いの場ですが、函館(箱館)の行政上の歴史が凝縮されている場所ということで、歴史散策コースに入っている公園です。
公園の一角にあるこの木碑。
1799年、江戸幕府は、蝦夷地周辺に、通商を求めるロシア人の接近が相次いでいる事実を知ったことから、それまで松前藩の統治下にあった蝦夷地を直轄とすることとし、1803年に箱館に奉行所が置かれました。
その奉行所が置かれていたのが、「元町公園」の一角でしたが、1864年に五稜郭に移転しています。
1854年のペリー提督一行の来航の際、黒船から、敬意を表する大砲が放たれましたが、実弾の入っていない空砲だったにも関わらず、黒船から800mしか離れていなかった奉行所が爆音と共にガタガタと音を立てて揺れたとされています(当時の大砲の射程距離は、約1kmだったとのこと)。
また、ペリー一行との交渉により、外国人に市中五里(約20km)の遊歩が認められるなど、治安上の危険も発生していたことから、奉行所が、現在の五稜郭に移転することが決定されたという経緯がありました。
函館の歴史スポットには、その場所の歴史的な経緯を書き記す解説板が設置されていることが多いですが、この場所にはそれがないというのが、ちょっと残念な気がします。
続いてこちらの建物。
入口の両サイドにある4本の長い柱は、「エンタシス」と呼ばれる建築様式で、現在は、北海道の有形文化財に指定されています。
箱館戦争終結後、北海道は開拓使による町づくりが進められ、函館にも、開拓使函館出張所が置かれていました。
明治15年(1882年)の開拓使廃止後は、北海道は、函館県、札幌県、根室県の三つの県に分かれることとなり、当時の函館県庁も現在の元町公園に設置されましたが、僅か四年後の同19年(1886年)、北海道は再び一つの行政単位となり、北海道庁函館支庁へと改編されました。
その「北海道庁函館支庁」の庁舎として使われていたのが、写真のこの建物で、明治40年(1907年)の大火で焼失した後、二年後に再建されています。
大正11年(1922年)から昭和25年(1950年)まで、函館を含む「渡島支庁(現:渡島総合振興局)」の庁舎として使われた後、近年では、観光案内所、写真歴史館などの用途に使われていました。
で、現在はどう使われているかと言うと、
1階は軽食店として営業しています。
「Jolly Jellyfish元町公園店」さんというお店で、ステーキピラフが有名だそうで、テイクアウト、イートイン両方を利用することができます。
軽食店以外のスペースには、往時を偲ばせる応接スペースのような部屋も残されています。
公園の一角にある、四人の像。
「函館四天王」と呼ばれる四人の功績を称え、後世に伝えています。
(詳しくはこちらを)
続いてこちらのレンガ造りの建物。
明治13年(1880年)には完成していたとされる、「旧開拓使函館支庁書籍庫」です。
この建物の歴史的価値を示すのが、レンガに残されている、「明治○年」の刻印。
現在の北斗市にあった「茂辺地煉瓦石製造所」で製造されたレンガが用いられています。
園内にある歴史スポットとして、もう一つ、明治9年(1876年)に、明治天皇の函館行幸を記す記念碑が建てられていますが、これに関するエピソードは、この公園以外の記事で紹介した方がよいと思うので、ここでは割愛させていただきます。
最後に、もう6月になってしまいましたが、この写真を撮ったのが4月27日だったということで、園内で咲いていた綺麗な桜を紹介して終わりにします。
桜の時期に行ったのは初めてだったので、ここまで綺麗だということも初めて知りました。来年もまた楽しみにしています。
函館
箱館と書く時もありますね。
箱の字は昔使っていたのでしょうか?
こんにちは。
いつも色々とありがとうございます。
ご質問の答えを記事として書いてみましたので、お付き合いいただけると幸いです。