北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

旧相馬家住宅と会社社屋

2024-07-06 16:40:00 | 函館

 

「元町公園」の側にある歴史ある建物。

 

 

以前も一度紹介していましたが、函館随一の豪商と言われた「相馬哲平」氏の私邸である「旧相馬家住宅」。

函館市の伝統的建造物に指定されているほか、2018年には、函館で最も新しい、国の重要文化財に指定されています。

 

 

「相馬哲平」氏は、1833年、現在の新潟県胎内市の出身で、1861年に28歳で箱館へ渡り、米穀商として財を成しました。

箱館戦争終結後、米価格の高騰で巨額の資金を得、ニシン漁への投資と海陸物産商へと転身します。当時、漁業は危険な事業とされ、銀行が漁師への資金融資をに難色を示していましたが、困惑する漁師に対し相馬氏が資金融資を行うと、噂が広がり本州からも融資依頼が殺到したと言われています。

1907年、相馬氏の住む函館西部地区全体がほぼ焼失するほどの大火が発生し、自宅と店舗が類焼してしまいましたが、相馬氏は焼き出された市民を雇い、街の再建のために一級建材をふんだんに使用して、自宅を再建しました。それが、現在の「旧相馬家住宅」です。

このほかにも、大火で焼失した「町会所」を「公会堂」(現・旧函館区公会堂)として新築する費用の大半を寄付していることでも知られていますが、その額たるや、建築費用総額58,000円のうち、50,000円、現在の貨幣価値に換算すると、約12億円という金額です。

大火の復興に当たっては、当時の日本銀行から顔パスで融資を受けられたというエピソードもあるとされています。

その後も、初代亡き後の二代目の相馬哲平氏は、1935年の長者番付では「前頭」に位置付けられ、納税額は「五六,三三八円」とされるなどしたというエピソードが残っています。

 

 

 

 

 

現在は一般開放され、中でガイドさんの説明を聞きながら、相馬氏の人生と函館の歴史について学ぶことができます。

2015年に放送された「ブラタモリ」函館編では、タモリさんと桑子真帆アナが、この建物の中を案内されて、1921年に発生した大火の痕跡を見せられ、館内(隠し部屋的な場所)の窓から見える一直線の坂道の様子から、防火対策として坂道が直線で整備された経緯について、案内人さんの説明を受けていました。

私事ですが、このときの放送は諸事情により保存版にできていませんので、またぜひ再放送していただきたいです。

 

 

 

「基坂」の下のある洋風の建物。

先程触れた、相馬哲平氏が開業した米穀商「相馬商店」をルーツとする「相馬株式会社」。
 
現在は、主に不動産賃貸業を手掛けていますが、この建物は、当時の社屋をそのまま保存しているものではなく、今なお現役の社屋として使われています。
 
現在のこの建物は1916年に完成したもので、戦時中に茶色に塗られた以外は、現在と同じ緑の同系色が継承されてきました。
 
先週のガイドで、お客様に「今なお現役の社屋です」と説明したところ、「本当に!?」と怪訝な顔をされてしまい、一瞬自信をなくしかけてしまいましたが、こうして記事にしたことで、今後は堂々と説明したいと思います。
 

 

 

 

函館市の「伝統的建造物」って、観光名所にもなっている有名な所以外は、あまり詳しく押さえていませんでしたので、市役所のHPをリンクさせます。

時間を作ってじっくり回ってみようと思います。

 

 

伝統的建造物一覧

函館市では,函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区内で,建築物にあっては,明治,大正,昭和初期に建築された和風様式,洋風様式および和洋折衷様式の建築物で,伝統...

 

 

ところで、昨日触れた明日の天気ですが、昨日時点よりは少し良くなっていて、ガイドに出発する16時頃に、雨から曇りに変わる予報になっています。

後は、お客様が来ていただけるかどうかです。今回は携帯電話の番号を伺っているので電話してみましたが、やはり知らない番号だからでしょうか、お出にならないので、ショートメールを送信しておきました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明日から荒天 | トップ | 7月7日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。