ごく普通の住宅街。
こういう場所に意外な痕跡が残されているのが、町ブラ(歴史散歩)の楽しいところなのです。
ん?「十二軒」?
「八軒」と「二十四軒」は地名としてあるけど、「十二軒」という地名は、「今は」ありません。
ということで、これまでも何度か紹介してきた、電柱に残されている昔の地名の話。
場所は、中央区宮の森エリア。
この地域は、明治4年(1871年)、現在の南4条以南にあった「辛未(しんび)一の村」(開拓使が農民や出稼ぎ労働者の移住のために作った集落で、その年の干支が付けられている)から12軒が移住した(強制だったようですが)ことが開拓の始まりとされ、「八軒」や「二十四軒」と同様、移住した軒数がそのまま地名として、「琴似村大字琴似村字十二軒」となりました。
その後は行政地名として残ることはなく、昭和18年(1943年)に、琴似村の字名変更が行われた際、この地域が、札幌神社(後の北海道神宮)の山林を含んでいたことから「神域ノ周囲ニ位置シ日夕宮ノ森ノ森厳サヲ拝スルヲ光栄トシ」ということで、「宮の森」という地名となりました。
しかし、この地名の由来は、平成30年(三年前ですね)の12月の新聞報道によって公にされ、それまでは、「札幌神社の森」ではなく「宮様の森」として理解され、数ある歴史関連書籍にも、そのように記載がされていました。
この地域にある「荒井山」という場所は、当時も今もスキーの名所として知られており、昭和3年(1928年)には秩父宮雍仁親王が、翌年には高松宮宣仁親王が北海道でスキーを楽しまれたことを記念して、当時の国際規格に準拠した「荒井山シャンツェ」が誕生しました。そのまた翌年には「宮様スキー大会」が開催され、そうした歴史から「宮様の森」として、それが「宮の森」の由来として広く浸透していたようです。
先述した昭和18年の字名変更の際、一部住民からは「宮」の文字を濫りに地名に用いることは「神社及高貴ノ尊厳ヲ冒涜スル」として反対運動が起こったそうですが、何度か紹介している写真の本の著者、和田哲さんは、「本来の由来が『札幌神社の森』だったとしても、多くの人々は『宮様の森』と理解していたのではないか」「反対運動についても、戦前という時局柄、皇室に因む由来の方にあえて触れなかったのかもしれない」として、「そうした経緯から、それまで長く流布していた『宮様の森』説に何十年も異議が唱えられなかったのではないか」と述べられています。
諸説あることが多い地名の由来について、それまで信じられてきた説がある日突然覆されるという例が果たしてどれだけあるのかは分かりませんが、これは興味深い話だなと思いました。
和田さんは「私は『宮様説』を全否定はできないのではないかと考えている」と述べられていますが、私もなんとなくそんな気がします。
十二軒って地名があったんですね。
電柱番号ってよく見たら面白いものだなぁと。
コメント有難うございます。
そうなんです、電柱にはその地域の古い名前が残されているケースが多く、そこから歴史を辿っていくのが面白かったりしています。
札幌市内にも沢山あると思うので、どんどん発掘していきたいと思っています。