ベイエリアの一角に、このような像があります。
これは一体・・・?
数年前、大河ドラマで一躍脚光を浴びた、同志社の創立者として知られる新島襄。
そのブロンズ像が、こうしてベイエリアに設置されています。
拡大して一枚。
続いて遠巻きに一枚。
向こうに見えるのは、三年前、GLAYの野外ライブが開催された「緑の島」です。
続いて、ベイエリアを西へ歩いていくと、こんな案内標識が。
この通りの一番向こうに、何やら碑のような物が見えますね。
そうなんです。
実は新島襄にとって函館(箱館)は、深い縁のある地なのです。
同志社の創立者として、その教育理念の基礎となるキリスト教を信仰し、そしてアメリカへと渡る起点となったのが、ここ箱館なのです。
新島襄(本名・七五三太[しめた])は、アメリカへの夢を日に日に募らせる中、21歳だった1864年、五稜郭の設計者として知られる武田斐三郎の「諸術調所」に入門する名目で、幕府から監視の目が届きにくいと目論んだ箱館へやってきました。
実際のところ、江戸に戻っていた斐三郎とは会えずじまいでしたが、箱館で知り合った澤辺琢磨という人物から、イギリス人経営の外国商館で支配人だった福士宇之吉(後の成豊)を紹介してもらい、箱館-上海間を航行するアメリカ船での脱国を企てます。
これは所謂密航でしたが、計画は成功。辿り着いたアメリカで多くのことを学んだ襄は、十年後に無事帰国して横浜でキリスト教を広め、1877年(明治10年)に同志社を創立しました。
この碑は設置されているのは、襄が脱国した、かつての外国人居留地の岸壁だったところ。
写真にある、「緑の島」に架かる橋は、「新島橋」と名付けられています。
通りの入口にある案内表示板。
この周辺の歴史が記載されていますので、函館観光の際は、ぜひ参考にしてみて下さい。
ブロンズ像の場所
海外渡航の地碑の場所