昨日は湯の川エリアにある「湯倉神社」を紹介しましたが、今回はお寺を紹介します。
「湯川寺」と書きますが、音読みで「とうせんじ」と読みます。
明治25年(1892年)、函館山の麓にある「称名寺」の住職が、地域住民の要望に応え、「下湯川称名寺説教場」を設置したことが始まりとなっている浄土宗のお寺で、大正8年(1919年)に独立し、現在の名称になっています。
こちらも、以前紹介したことがありますが、久し振りに行ってみました。
書く内容は、ほぼ過去記事と一緒なのですが、こちらは、かつて函館山にあった、「西国三十三ヶ所霊場」が遷座されています。
実際には、一番、三番、三十三番が現在も函館山近くにあり、それ以外の三十体が、現在の湯の川エリアに当たる「湯川村」に、明治32年(1899年)に移されています。
後日別な記事でも触れようと思いますが、函館山にあった観音像が移されたというのは、この明治32年当時、日露関係の悪化により函館山が陸軍に没収され、立入はもとより、写真を撮ったりスケッチしたりすることさえも禁じられたという経緯があります。
一体一体に、このような「御詠歌」の札が添えられています。
三十三ヶ所観音の他に、こちらには、歌人として知られる「西行法師」の像が設置されています。
大正12年(1923年)当時の住職の縁者が西行法師の崇拝者であったことから、この像を寄進してきたという経緯があるそうです。
訪れたのは4月末でしたが、本数は少ないながらも桜の花が見ごろを迎えていました。
最近、お寺の掲示板を興味を持って見るようになりましたが、函館にとって実にタイムリーな言葉が書かれていました。
GW中は、コナンの劇場版も常に満席だったようだけど、そろそろ落ち着いた頃かと思うので、今月中に観に行こうと思います。
これを見て、「真実とは、どんなに闇に葬ろうとも、いつか必ず白日の下にさらされるもの」という、「相棒」の杉下右京のセリフもどこかのお寺に掲示されていないかなと思いました。