「基坂」の中腹にある「旧イギリス領事館」。
来週の日曜日、団体様のガイドをする予定になっているのだけど、ここの館内をご案内するとのことで、そういえば、GW以来行っていなかったなと思い、復習(予習?)をと思って、5か月ぶりに行ってきました。
(前回の記事)
王室の物かなと思われる立派な椅子。
王冠もあります。
この衣装も。
年代はわかりませんが、イギリス王室の先代女王・エリザベス2世の肖像画。
先程の椅子は、来館者が腰かけて写真を撮ることができるそうです。
話は少し逸れますが、こちらの先代女王陛下、「エリザベス女王」と呼ばれたり、あるいは「エリザベス2世」と呼ばれたり、様々な呼ばれ方をされていたと思います。
このことについて思い出すのが、「アメリカ横断ウルトラクイズ」で、女王陛下が正解の問題が3回出題されたことがあるのだけど、いずれも挑戦者の口にした答えが違っていたということ。
第8回大会(1984年(昭和59年))のときの挑戦者は「エリザベス2世」と答え、第12回大会(1988年(同63年))のときの挑戦者は「エリザベス女王」と答えていました。そしてまた、翌年の第13回大会のときの挑戦者は、丁寧に「クイーンエリザベス2世」と答えていました。勿論、全て正解として扱われました。
ま、どうでもいい話でしたが。
この制服は見たことがありますね。
衛兵の中の「パイプ隊」と呼ばれていた人でしょうか。
イギリス領事として、函館の歴史に大きな足跡を残した、「リチャード・ユースデン」氏の足跡を記した解説板。
前回の記事で文章だけ書いていましたが、1876年(明治9年)の明治天皇の行幸に際し、基坂に「WELCOME」と飾ったアーチが掲げられ、領事夫人が天皇に花束を贈呈するということがありました。
これが、恐らくは日本初の花束贈呈であろうと言われています。
こちらはユースデン夫人の足跡ですが、北海道初のライラックは函館だったんですね。
ライラックの町札幌が地元の人間としては、「そうだったんだ」というか、ちょっと複雑な気もしますが、このことは、いつか札幌で話題にする機会を作ろうと思います。
今年はライラックのシーズンは既に終わったので、来年、函館公園へ観に行こうと思います。
展望台からの眺め。
先日紹介した「青い塔」が見えます。
こんな風に見えたら、そりゃ話題になりますよね。
続いては、同じ館内にある「開港記念館」の展示の中から、ぜひ紹介したいと思うものを何枚か。
開港と同時に西洋文明がドドドっとやってきた箱館においては、西洋料理の事始めに関するエピソードも多数残されています。
函館に「HAKODADI」という呼ばれ方があったということは、今の人たちにはそれほど知られていないようです。
要するに、ペリーが来日したとき、箱館の人たちが口にしていた「なまり」から、「HAKODATE」ではなく「HAKODADI(ハコダディ)」と理解されてしまったということだそうです。
そういえば、このことについては、以前一度、触れただけで答えのない文章を書いたことがありました。
(それがこちら)
箱館で買い物をするペリーの図。
「ペリーの要求でアメリカ艦隊のために特別に市場が開かれ」と書いてありますが、ペリー来訪時、船員が乱暴狼藉をはたらいたことから、松前藩は、以後の買い物場所を限定させたそうで、その場所をペリー側の通訳が「バザー(特設市場=バザール)」と訳したというエピソードが残っています。
「バザー」という言葉、現在でも、例えば町内会などのお祭りや学校祭などで聞かれますが、その起源はここにあったんですね。
別なフロアでは床一面にこのような絵が。
ペリー来航当時の箱館の様子が描かれています。
来訪した外国人の会話ですかね。
そうなんです。ハコダディは、道外の人が思うほど涼しくはなく、避暑に向いているかというと、「?」なのです。
特に近年の猛暑が、そのような傾向に拍車をかけていると言えます。
ハコダディのお土産、当時はどんな物が主流だったのでしょうかね。
因みに、ペリー来航時には、船員たちが箱館中の木魚を買ってお土産として持って帰ったというエピソードが残されています。
よほど珍しく面白いと感じられたのか、本当にに箱館中の木魚が、ありったけ買い漁られたそうです。
とまあそんな感じで。他にも写真は撮りましたが、珍しいというか、これはガイドのネタにできそうだなと思うものを選んで載せました。
本番までの間に、どう話すかをしっかり組み立てたいと思います。