龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
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入院体験記(5)こんな時に読む本は

2010年08月17日 15時24分24秒 | インポート
iPhone4が頼みの綱、といってもいい俄か隠遁生活だが、読みさしの本は沢山持ってきた。
それを片っ端から読めばいいようなものだが、なかなか
そうもいかない。
昨日から今日にかけては、ツイッターを登録していじってみた。
まず、誰のつぶやきをフォローしたらいいのかわからない。
だれもフォローしていないのに、ただ虚空にツイートする元気もない。
この寄る辺なさはなかなかのものだ。勘所がわからない、というのはなんでも最初こんなものだろう。
次第にいろんな有名人をフォローしていくと、お互いにリツィートしたものがタイムライン上に現れ、結局友達の友達、的に興味関心のあるつぶやきて同士がつながっていくみたいなことなのかな。

ちょっと世間探訪しました。

でも、こういう時間の使い方はなかなかできないなあ。ネット上の、しかもリアルタイムで動いていることについては可能性を感じるけど、自分はどうなんだろう、と思うと、もう少しゆっくりした時間軸でことばを扱うのだろうな、と思った。
もう少し、沈黙の中にせっかくいるのだから、わざわざネット上の喧騒の中に今出ていかなくてもいい、ということか。

で、読み始めたのが
『草枕』(夏目漱石)。

実にぴったりとくる(^_^)
もう一つは
『あんじゅう』(宮部みゆき)
江戸とか明治に留学するのが、プチ隠遁には相応しいようだ。
にしてもiPhoneで読む青空文庫は、便利この上ない。
著作権の切れた古典が、自由に読める。特に漱石は本当に助かります。
というわけで、iPhoneと漱石と、宮部みゆきに助けられそうです。




九州に行って来た(12)2日目は晴れ!

2010年08月17日 09時29分35秒 | インポート
IMG_2204.jpg
阿蘇の初日は小雨がぱらつき山の全体像が見えなかったので、次の日は行ったん高千穂に行ってから午後にもう一度阿蘇に戻り、晴れた阿蘇全景をなんとか見たいと考えた。

次の日は幸いに雲一つない快晴。
8月の九州の快晴、となれば、これはもうクマゼミの天下。やかましいほど短い周期でセミが鳴いている。

じつは 九州旅行、中でも阿蘇を走るに当たっては、20年前からこれも漠然と思っていたことがあった。

マツダロードスター(当時はユーノス)が発売されたのがおよそ20年前。そのときからこの日本製の可愛いオープンカーに乗りたい、と思っていた。

今回、何十年か経ってようやくその二つを同時に実現できたわけだ。
「今」楽しむことをためらって、ついつい「老後の楽しみ」とか衒って言ってしまうけれど、

楽しむのはいつも「今」

なのだと思う。

さて、そういうわけで高千穂峡を午前中散策したあとで、戻って来た阿蘇は、全面晴れ渡っていて、どこからでもその姿を隠すことなく眺めることが出来た。

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なかなかiphoneのスナップ写真では、360°のパノラマな風景のスケール感は表しにくいのが残念。
(iphoneのアプリには、ぐるっと回して撮るとパノラマ撮影できるものがあるらしいんですが、まだダウンロードしていないので不明)

最近、旅行先でも散歩中でもきれいな風景を観ていると、「カメラなんて要らない、自分の瞳に焼き付けておけばいい」と思った若い頃とは違って、写真に撮っておきたいと思うようになった。

暗いところでも手振れしても接写でも、
当たり前に「きれいな写真」が撮れるデジカメの存在は大きいよねえ。

いささか暑かったけれど、高千穂→阿蘇と、
オープンで走って満足。
日焼けどめは必須でしたが(笑)。



九州に行って来た(11)阿蘇をオープンで走る爽快さ

2010年08月17日 09時12分25秒 | インポート
40年近く前、教科書(光村図書だったか)に、「大阿蘇」という詩が載っていた。

その詩を読んだときから、漠然といつかいってみたいと思っていた。

今回その想いがかなったわけだが、さてしかし、意外なことがひとつあった。

引用開始-------------

大阿蘇(部分)

雨の中に、馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 
雨の中にたつてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる
馬は草を食べてゐる
尻尾も背中も鬣も
ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる

(中略)
馬は草をたべてゐる
艸千里浜のとある丘の
雨に洗はれた青草を 
彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる


引用終了---------------
旅行から帰って来て「大阿蘇」の詩をきちんと探してみると、

詩の中では、雨が降っていた。

しかし、私の心の中のイメージでは、さんさんと照陽射しの中で、放牧された牛がのんびり佇んでいるのだ。

この違いはいったいなんだろう、と少々呆然。

詩をきちんと読んでいなかった(なにせ小学生の時だったしね)ということもあるのだろうが、阿蘇という「南国」のイメージが、
雨→晴れ
の変換を促したのかもしれない。

あるいは(観光ガイドや絵はがきにあるような)晴れ渡った山をみたいという欲望に対して、三好達治が敢えて写実的な雨の描写を対置している、という面もあるかもしれない。

けっこう曇りや雨の時は多いみたいだし。

私が行った時も、雨と雲で大観峰という外輪山の展望場所からは内輪山の五つの峰の頂上は見えなかったし、「草千里」という牧草地も雨に濡れていた。

実際には思い出の詩の情景通りだったのに、そうではないと思って少しがっかりしていたことになる(笑)。

観光はいつだって「晴れ」が「勝ち」というか、「風景を見た」という満足感が大事だからねえ。

にしてもびっくり。



入院体験記(4)

2010年08月17日 02時54分08秒 | インポート
よく聞く話だったが、自分が体験してみるとまさにそうだった。

手術台に上がり、マスクをつけられ、
「何度か大きく深呼吸してください」
といわれたつぎの瞬間には、
「終わりましたよ」
とスタッフに声をかけられていた。
そして、痛みが来るのはしばらくした後で、というのも。
手術自体は小さなもので、特段心配や緊張はしなかったが、それでもやはり手術台に上がるときには
「ありゃあ、これほんとにやるんだ……」
と少したじろいだ。
ひとつ感じたのは、手術台は作業台だけあってベッドよりだいぶ狭い、ということ。

にしてもこの意識の切断は、これはこれでなかなか興味深い体験だった。

痛みで夜中目が覚めるのはちょっとあまり楽しくはないが(>_<)