龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
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入院体験記(12)そろそろ退院

2010年08月21日 20時45分55秒 | インポート
そろそろ退院が近づいてきた。
この期間限定病院別荘にお篭りリゾートプチいんとん生活もあと2夜で終了だ。

残念だなあ。
たぶんもしかするとこんな贅沢は、人生の中でそう何度もないかもしれない。その割には有効活用しなかった気もするけれど、iPhoneというメディアが入院に間に合ったのはすこぶるつきの僥倖というべきかもしれない。
iPhoneは喋れない私のために用意されたようなメディアでした(笑)

それと適度にわかりやすい
サンデル教授『これからの「正義」の話をしよう』
と宮部みゆきの『あんじゅう』

入院には、面白い本といいメディアが不可欠だ、というお話。
かつて、入院といえば世間から隔絶されて面会者を首を長くして待つ(堀辰雄の小説かっ!)とか、手紙というメディアがせいぜい。
そのあとはラジオ→テレビときました。
病院内でも携帯をマナーモードにしておけばオッケーという約束事だったのには感謝感謝です。
これがケータイは外で、とか言われたら
「ヴワアアアアぁ」
ってなっていたかも。
ま、そうなっていれば本は倍ぐらい読めたんでしょうがね^^;

これでエスプレッソマシンが部屋にあれば、とか言ったら神様にぶっ飛ばされますよね……。
テレビはほとんど見ませんでした。
私の生活にTVはほぼ不要なんだな、と再確認。
ちらっと欲しいなとおもう瞬間は、高校野球(地元チーム)と政局情勢、それに不幸な事故や災害の情報です。並べただけで不謹慎な感じですね、すみません。
あとは知っていれば特集番組とか、ぐらいかなあ。

老後は基本、ネットと本があれば生きていけます。
あとはお酒のみに出かけて行ってヒトに合えばよい。
昔、郊外に住んでいた隠遁めいた人たちも旅をしてさまざまなヒトや自然に出会い続けていたのだろうし、ヒトを訪ねたり、また来訪を受けて喜んだりもしていたのだろう。

本もネットでのコミュニケーションも旅も、本質は「交通」「交流」「異質なものとの出会い」だ。
入院最後の本は、その交通について考え続けている柄谷の1冊『世界史の構造』。
読み半端で入院になってしまったものだから、読了して夏休みを終えたい。

明日ぐらいは真面目に朝から読書しよう。


入院体験記(11)Twitterの面白さ

2010年08月21日 20時28分34秒 | 身体
身近にTwitterにハマっているヒトがいない。

SNSはついに乗り遅れたまま終わった。

Webマガジンは救済中(笑)。


HP更新って形からBlogにはサーバー変更して、ようやく携帯メールから更新というのが定番になった程度のネットワーク度では、やっぱりまだよく分からない。

だいたいフォロワー(つぶやきを聴いてくれる人)もいないのに、バカバカしくて呟く気にもなれない。独り言ならトイレでしろって話で(苦笑)。
Blogは結局自分の思考の外部化、形象化、データベース化という意味があって、加えて他者との出会いがあれば幸甚ってスタンスでなっとくしてずっと書いている。
これはいい。

mixiは、異業種交流もなく、テキスト読むだけの趣味のおじさんでは、所詮毎日「交流」してもなあって感じだった。

Twitterは、知り合いの若者(20代)も、何が面白いんだかって感じのヒトも多く、今のところ謎である。
たぶん謎のまま終わるのかもしれない。

でも、今日Twitterベスト300の一覧が載ってるサイトを見つけて、暇にあかせての表をずっとみていたら、何人かフォローしてみたい人間がいたので登録してみた。
するとこれが面白い。
必ずしも自分でつぶやかなくたって、それなりに楽しいのだ。


みていると、自分のことだけ「がーっ」と喋るカリスマ的なヒト(芸術家におおい)、RTといって自分に返事があったものをフォロワーにも紹介するエディター・セッション系のやりとりを好むヒト(編集者におおい)、仲良しクラブをTwitterでもやろうとしている有名人(顧客フォローかっ?こうかんどあっぷかっ?)など、さまざまに面白い。

最高なのはやっぱりリアルタイムチャットのノリで有名なあの人のツイートを「今」読めるし、突っ込むとすぐ返事がきたりRTされたりして臨場感がある。
気に入らなければあっさりフォローを止めればいいわけだしね。

たまたまあったので、谷川俊太郎のフォローをしたら、履歴をみても1ヶ月に1tweetぐらい(笑)。
でもそれだっていいんだよね、べつに。

「生」の声を切り取って見せてくれるこのTwitterっていうパッケージングは、いわゆるmixiとかのSNSよりは気軽に流しながら覗き見ができて楽しいかもしれない。

とりあえず業界系のヒトとか、海外在住のヒトとか、在留外国人とか、げいじつかとかを20人ほどふぉろー。検索していくと知り合いとかにも会ったりして、意外に世界は狭い(狭くないけど検索かかると距離は無意味)。逆におもうように検索ができないと、これは辛い。
そういうエントリーレベルでの初心者誘導って、もう少しあってもいいんじゃないかしら。
私が知らないだけかな。
「いまさら聞けないTwitter」
とか日経のおじさん雑誌で特集やるまでは待てないもんなあ。

ちなみに典型的な日経おじさん雑誌ハウツー雑誌「日経トレンディ」9月号で特集されてて、iPhoneの最強アプリっていう特集があったから買っちゃいました(笑)。

Twitter初心者で誰をフォローしたらいいかわからん、という方は、とりあえず

下記はお勧めかもです。

http://twpro.jp/ranking/20100731/fld




入院体験記(10)クラウドって何?その4

2010年08月21日 08時48分48秒 | インポート
さて、「クラウドコンピューティング」
になって、とても便利にはなった。
有名人のつぶやきも即座に見られるし、全国の天気も一発検索できるし、アプリケーションを買わなくてもgoogleとかでword&excelの簡易版なら無料で使えるし、メールも自由自在に世界中に送れるし、Skypeとかで電話もただ、!Amazonなどの通販なら、今までは諦めていた商品を2、3日のうちに自宅お取り寄せ!
データもハードウェアも、個別に企業&個人レベルで持っていたとしたら、こんな風にはできなかったはずだ。

つまり、私たちは今まで、家族とか親戚とか職場とか隣近所とか村とか地域の共同体とか、藩とか幕府とか(江戸かっ?!)、限界近代国家とか、そのときどきの社会基盤に「半ば埋め込まれる」
ことによってたんなる獣としてのヒトではなく、「人間」として生きてきた。

ところが今、いよいよ社会基盤全体がネットワーク化し、しかもそれが顕在化して世界全体を明示的に覆いつくそうとしている。

「クラウドコンピューティング」
っていう言葉は、
単にネットワーク化されたサービスの一形態ではなく、社会的基盤の大きな変化を指し示しているといっていいのじゃないか。

端的にいえば、今までは個人レベルでPCを買うのは、一定の層に限られていた(まあ、馬でも飛行機でも車でもそうだったけどね)。電話だってテレビだって近所に1軒だけ、なんてことはあったわけです(そんなに大昔じゃなくて)。
日本人が「国民」として全員学校に通うようになってたかだか120年だし。

それが今、世界中でネットワークに参加するのがあたりまえになりつつある。社会や企業や国や世界が「環境」となって、安価な端末で、接続料も安くて。
日本ではちょっと前まで考えられなかったけれど、
「家に電話はないが携帯は持っている」
という国がアジアには多くて、有線電話というインフラが整備されないうちに、一気にそっちにいっちゃったわけだ。
逆に日本ではまだwi-fiが整わない、なんていってる。
まあ人口の割には狭い国だし、平地は三割(ヒトはあまり山の中で携帯が繋がらないといって文句はいわない)だから時間の問題でしょう。実際ちょっとまえまで携帯電話屋さんにはエリア地図がおいてあったけど、そろそろそういうのもかこのはなし になりつつある。

ってことは、繰り返しになるけど、社会基盤として「クラウドコンピューティング」が「当たり前」になっちゃった、ってことだ。

これは見かけより大きな変化、だと思う。
つまりiPhoneのストレージサーバーサービス、
無料なのがいっぱいあるからどれにしようかな、ってレベルでおさまる問題じゃないってことだよね?

給料の銀行口座引き落としの例を考えてもそれはわかる。プリペイドカードとかね。ポイントでもいい。給料でもプリペイドカードでも、一気に全部使う人はあまりいないわけで、口座振替を獲得した時点で、それが「多数」の数になれば、未来永劫「下ろされない貯金額(死蔵プリペイド)」が膨大になる。必ずそうなる。ポイントカードも、まだ払われないその企業だけの「貨幣」(という幻想)によって顧客を世界中でたった一つの企業だけの顧客にいともたやすく囲い込む。
そういうことがかつても起こっていた。


それが今や、圧倒的に世界レベルで「囲い込み」の闘いが起こっていて、たとえば日本ではYahooの検索エンジンがなくなって、ぜーんぶGoogleでしか検索できなくなっちゃうとか、Amazonの電子書籍出版の方法が放っておくと世界標準になっていくとか、そういうことも「クラウドコンピューティング」が前提になってるわけで。

関係ないっちゃ関係ないように見えるけど、空恐ろしいし、そこが「社会基盤」になってしまうと、その中にいて初めてヒトは人間になるっていう圧力が、人間の場合脳の中で集団的に働いていくに違いない(近代国家の戦争が惨たらしいのは国家に国民が埋め込まれる度合いが半端じゃなかったからですものね)。

つまり、今まではネットワーク化に加担するのが物好きかヲタクだったものが、クラウドコンピューティングにコミットしないものは「獣か神様」だけになるって「ルール」がすぐそこまで来ている。

私は知らないけれど、微妙に追加料金の発生するソーシャルネットワークゲームが携帯で流行りかけているとか。
世界的規模の企業は、
それなりに自分でルールを決めてその中で「公正」に商売をする。
うさんくさいけど、末端のユーザーにも恩恵はある。安くて高度なサービスが受けられるからね。

でも、小さい規模の企業は、一人頭のテラ銭が少なくなると、かつての場末のキャバレーの姉ちゃんのように細切れれにチップを要求するようになってしまうか、カツカツの商売で黄昏を生きるかになってしまいかねない。
もしくは、Googleの決めた範囲で仕事をする、とかアップルストアの企画に合ったソフトを作りますとか、Amazonにギャランティーを払って本を出版します、とかね。
もう半分隠遁のシミュレーションを病院でしている私にとっては本当に「人間社会」はすごいことになっていくなあ、と呆れるしかないのだけれど、
「よしそれならここで勝負すっか」
「こんなものぼっこして別物にすっぞ」
とかいう日本人の若者(別に日本人でなくてもいいが)がガンガン出て来てくれることを祈るしかないかな。

中国の「情報ダム(囲い込み&解放)」の匙加減がどう動くのかが、当面興味深いのかな。
Googleの中国撤退騒ぎは、そのつばぜり合いのちいさな一コマなのでしょうか。

さて、朝っぱらから頼まれもしないのに世界情勢を妄想しました。
これもまた入院隠遁の功徳か弊害か(笑)。

P.S.
結論。
そうなると、企業活動だから利潤追求すればいいよね、とか企業活動だから何をやってもじゆうだよね、とか、必要ならローカルに「国家」
の法律で活動を制限すればいいよねって話にはもう、ならないってことだ。
GoogleやAmazonはコンテンツそれ自体の内容を生産しない。整流して右から左に動かし、
稼ぐ。
にもかかわらずエンドユーザにとっては擬似的には社会基盤だ(ってか水道電気ガスと一緒、
インフラストラクチャーそのものじゃん!)。

ここで問題になるのは単なる法令遵守、じゃない。きっとね。「公共的なるもの」に対する瞳と議論のスキル、つまり道徳と倫理を思考・
実践しかつそれを再言語化し、社会基盤に還元していく能力が、絶対に重要になるはず。

私は個人的には環境問題よりもこちらの方がよほど大切、だと思うけどね。



入院体験記(9)クラウドって何?その3

2010年08月21日 07時46分35秒 | インポート
もちろん、その程度、のわけはない。
それだけなら、単なるデータのサーバー共有化の手続き、がアプリケーション化したってことにすぎない。

でも、iPhoneでネット上をうろうろしていると、携帯電話とPCだけをいじっているときにはきづかなかった「クラウドコンピューティング」ぽいものの「正体」が見えてくるような気がする。

wikiを引くと、「クラウド」は

1、クライアント
(私たち)
2、アプリケーション
(mail, 検索,Twitter,googleアプリ,Amazon,tune,電子BOOKなどなど)

3、プラットフォーム
(OSとかシステムとかデータベースとか)

4、インフラストラクチャー
(ネットワーク関係?)

5、サーバー
(どこかには無数の機械が置いてある)


って階層になってるという。
今までは、
家の中でスタンドアロンコンピュータとユーザーが

ユーザー
アプリケーション
OS
PC&外部記憶装置(ハードウェア)

とセットで家の中にあったものが、アプリケーションから先が全部ネットワーク(社会)の側にいっちゃった、ってことになる。
今まではぜーんぶお店で買って家に持って来たのに、これからは初期投資は安価な端末だけでよくって、あとは向こうがわの「クラウド」が全部受け持ちますよ、
ってことだ。

じゃ、逆に便利じゃん。

安い端末(たとえばipad?Android携帯?無論iPhoneも?)があればいいてことでしょ?

そういえば電子ブック元年だし、MSもオンラインでオフィスソフト利用はじまったし、ゲームもオンラインでソーシャルネットワークゲームみたいなのできるし……

てなことになるのだろうか。
まさかそうことは単純じゃないだろう。
ある意味では、どんどんオープンになり、データを個人レベルではなく社会全体で共有化する方向になり、個々人の負担は見かけ上小さくなってきてはいる。便利は便利はなんだけど。