龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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木村俊介『物語論』(講談社現代新書)を読む

2011年12月18日 23時07分53秒 | インポート
木村俊介『物語論』(講談社現代新書)を読む
をJUGEMの「メディア日記 龍の尾亭」にアップしました。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20111218

17人の創作家へのインタビューがまとめられた新書です。ちょっと珍しい、読みやすくて、でも気合いの入った1冊だと私は思います。
よろしかったらぜひ。
取り上げられている創作者は
荒木飛呂彦/伊坂幸太郎/うえやまとち/かわぐちかいじ/是枝裕和/桜庭一樹/渋谷陽一/島田雅彦/杉本博司/諏訪内晶子/中村勇吾/根岸孝旨/橋下治/平野啓一郎/弘兼憲史/村上春樹
などです。


佐藤亜紀『ミノタウロス』を読んだ。

2011年12月18日 11時23分43秒 | 大震災の中で
昨日、泊りがけの読書会に参加した。
国語教師の残骸たちの忘年会である。
まあ、団塊退職者の会合って、年金直ぐ出るから世の中溢れかえってるんだろうねえ。

もっとも、この会合は30年以上続いている、多分福島県では1番歴史が長く、冊数も1番たくさん読んでいる、従って年齢層も上の化石的な会合なんですが。

なにせ50代の私が最若手ですから推して知るべし(笑)。


私がレポーターで、読んだ本は佐藤亜紀『ミノタウロス』。

参加者は元&現役の国語の教授&教師6名。
平均年齢は63,4才。

概ね不評、と見た(笑)。

いやもちろん、みんな小説読みの超手練れだから、勘所は外しやしない。

レポーターがよく知らないので黙っていたピカソのミノタウロスの話もワイルド・バンチの話もとびだし、タチャンカへの偏愛も、ちゃんと読み解いてくれる。

武器オタクで、歴史フェチで、マッチョラブなアンチヒューマンの活劇好きで、という、本文から匂い立つようなところもまあ言わずもがなに球を受けてはくれる。

それでも、この作品の「読者」は、多分わたしだけだったのだろうと思う。

「すかっとしねえんだよね」
と、
「『シチェルパートフ』的人物が書けるんだったら、4,5000枚でこのロシアを描ききればいい」
「そういう意味ではゲーム的」
が、じいばあ予備軍の主たる批評だった。

その中では、ある種の虚無性を示した作品として大正期に日本でも人気があり、新潮の文庫になっていたロシア小説
『最後の一線』
を思い出した、といっていた老教授の言葉が印象に残る。

私はこの佐藤亜紀の『ミノタウロス』を、徹底的に「今」の小説として読んだ。

だが、老人予備軍の「不評」もまた、いくつかの変数を掛けなければならないにせよ、間違いなく「今」の声だろう。この小説の「コントロールされ感」は半端じゃない。

彼ら「亜老人たち=読者層」の敢えてする無理解の態度
と、
作品自体の敢えてするカオスに満ちた暴力描写の透徹性というか、ヲタク的記号コントロール感とのせめぎ合い

とは、そのまま自分の「今」の課題として瞳に映る。

では自分は何をどう「偏愛」するというのか?単に作品を愛でて終わるわけにはいくまい。作品を捨てる身振りを忘れずにいたいものだ。

無論作品を捨ててファンタジーを拾うって話じゃありません。

震災からこっち
「小説が読めない」
という悩みを抱え続けてきたことの意味も、少し見えてきそうなきがする。

この項目、続けて考えねば。