思想地図beta2(東浩紀編集長)を読んでいる。
特集は「震災以後」。
不思議なもどかしさが言葉を追っていく毎に漂ってくる。
巻頭に置かれた和合亮一の詩を読んでいて、つくづくそれを感じた。
和合亮一の詩は、本人も語るように震災以前と震災以後で大きく変わった。
東浩紀もまた、その自身の変化に言及している。
世代の違いなのか、拠って立つ「場所」の違いなのかよく判らない。
だが、読むほどに違和感は大きくなりつつある。
この人たちはやっぱり、大震災で何かが「変わった」と思えるほどに「若い」のだ。ナイーヴといってもいい。
私はもう震災前に変わってしまったから、震災では何も変わったりはしなかった。
いや、正確にはさまざまなことに改めて気づかされたことは間違いない。
でもそれは、本当に震災によって「変わった」ことになるのか、という疑問が、読んでいればいるほどに大きくなってくるのだ。
他方、大塚英志・宮台真司『愚民社会』は、日本人を「田吾作」・「土人」と過激に罵倒しつつ、啓蒙の不可能性と必然性を語る対談で、実に心に沁みた。
教育と啓蒙という身近な場所の無力といらだちと危機意識が、現実といかに繋げ得るのか?そういう自分の課題に極めて近いものを感じる。
ま、「土人」とか「田吾作」とか、お馴染みの「あおり」惹句が頻発なんだけどね。
でも、ここには白井聡が『未完のレーニン』で示そうとしている、
自然発生的な革命もなければ、知識階級の革命もない、という二重の不可能性の認識の中からしか「革命」は拾い出せないというレーニン読解と繋がるものがある。
それは、「本来性なき疎外」を指摘する國分功一郎の『暇と退屈の哲学』の力強い姿勢にも通じる。
上野千鶴子の「原発事故前から一貫して反対して変わることがなかった言説だけを信頼する」というスタンス(週刊読書人)は、ちょっと意味が分からなかった。そういう人がいながらこの事故が起こった社会現象をどうするの?と、ちょっとぽかんとしてしまう。なんだか「強度」を取り違えていると感じるのは私だけか?
また、渋谷陽一編集の雑誌「SHIGHT]2012Wに掲載されていた内田樹と高橋源一郎の「沈みゆくニッポンを愛する」系の辺境主義的言説は、やっぱりなんだか「処世術」っぽくてついていけない。
おもしろさでは一番なんだけどね(笑)。
この辺り、年末年始にかけてじーっくり再考してみたいところである。
あとは、300人の若者が体験した「大震災の中で」という都合2400枚の原稿を、どうやって処理するか、が来年の課題。これでも、記録としてぜひなんとか残したいんだよねえ……。
特集は「震災以後」。
不思議なもどかしさが言葉を追っていく毎に漂ってくる。
巻頭に置かれた和合亮一の詩を読んでいて、つくづくそれを感じた。
和合亮一の詩は、本人も語るように震災以前と震災以後で大きく変わった。
東浩紀もまた、その自身の変化に言及している。
世代の違いなのか、拠って立つ「場所」の違いなのかよく判らない。
だが、読むほどに違和感は大きくなりつつある。
この人たちはやっぱり、大震災で何かが「変わった」と思えるほどに「若い」のだ。ナイーヴといってもいい。
私はもう震災前に変わってしまったから、震災では何も変わったりはしなかった。
いや、正確にはさまざまなことに改めて気づかされたことは間違いない。
でもそれは、本当に震災によって「変わった」ことになるのか、という疑問が、読んでいればいるほどに大きくなってくるのだ。
他方、大塚英志・宮台真司『愚民社会』は、日本人を「田吾作」・「土人」と過激に罵倒しつつ、啓蒙の不可能性と必然性を語る対談で、実に心に沁みた。
教育と啓蒙という身近な場所の無力といらだちと危機意識が、現実といかに繋げ得るのか?そういう自分の課題に極めて近いものを感じる。
ま、「土人」とか「田吾作」とか、お馴染みの「あおり」惹句が頻発なんだけどね。
でも、ここには白井聡が『未完のレーニン』で示そうとしている、
自然発生的な革命もなければ、知識階級の革命もない、という二重の不可能性の認識の中からしか「革命」は拾い出せないというレーニン読解と繋がるものがある。
それは、「本来性なき疎外」を指摘する國分功一郎の『暇と退屈の哲学』の力強い姿勢にも通じる。
上野千鶴子の「原発事故前から一貫して反対して変わることがなかった言説だけを信頼する」というスタンス(週刊読書人)は、ちょっと意味が分からなかった。そういう人がいながらこの事故が起こった社会現象をどうするの?と、ちょっとぽかんとしてしまう。なんだか「強度」を取り違えていると感じるのは私だけか?
また、渋谷陽一編集の雑誌「SHIGHT]2012Wに掲載されていた内田樹と高橋源一郎の「沈みゆくニッポンを愛する」系の辺境主義的言説は、やっぱりなんだか「処世術」っぽくてついていけない。
おもしろさでは一番なんだけどね(笑)。
この辺り、年末年始にかけてじーっくり再考してみたいところである。
あとは、300人の若者が体験した「大震災の中で」という都合2400枚の原稿を、どうやって処理するか、が来年の課題。これでも、記録としてぜひなんとか残したいんだよねえ……。