極めて私的な意見に過ぎないかもしれないけれど、私は民主党のマニフェストにあった「高速道路無料化」が政権発足早々から腰砕けになり、結局消えてしまったことをここ数年の中では最も残念な政治的事象として受け止めている。
小学生じゃないけれど、
「言ったらやれよぉ」
と本当に思う。
お金の手当ができなかったから、とかいうんだったら、最初からマニフェストとかに掲げなければいい。
基本的には、高速道路建設当時から一定期間収益が上がったら(元をとったら)無料化すると謳っていたはずだ。
どこまでいったら「元」なのかっていう面倒な議論が起きやすいのは分かる。
簡単にことが進まないのもわかる。
でも、だったら「無料化」とか言わないでおいてほしかった。
まあ、「そううまい話はないんだな」、とマルチ商法に騙された人みたいな感想を持てばいいのかもしれない。
結局国も、得体のしれないマルチ商法みたいなものか。
来年4月からは高速が普通料金に戻るのだろう。
思えば高速料金は、自民党政権時代からコロコロと変わり続けてきた。
百歩譲って無料化は無理だとあきらめるにしても、もっと長距離移動に優しい料金体系にはならないものか。
年金支給が遅れ額も減少したとしても、高速が無料になれば老後の楽しみに長距離ドライブができそうだ、と一瞬思った自分の甘さが悔やまれる。
渋滞するから料金を取るとかいう、ふざげた論理にもならない論理みたいな「雰囲気」さえ感じるのは完全に「僻み」だろうか。渋滞するなら道を作れって話だ。シムシティだってそのぐらいするぜ(苦笑)。
公共的な社会資本の典型が道路だったはずなのに、いつまでも「料金」で縛るのはとりやすいところから取る、ことでしかないと思うのだけれどねぇ。
たばこ料金を上げたり、東電が料金を上げたりするのとは訳が違うよなあ。
今年一番がっかりしたことを、とりあえず書き付けておきます。
燃費の良い車で高速代を浮かそうとか思わないわけでもないが、燃費のいい車はHVとか基本的に高い。
車は乗らないのが一番安いって話になってしまう。
現代においては、どんなバランスを取るのが最適解なのか、という感覚が政治家に十分育っていないような気がする。
いやでも、「政治家」の問題じゃないのかもしれないね。
車を乗り、高速道路を利用して日本全国旅してあるくことに「文化的意義」を感じているのだとすれば、粘り強くその価値を訴えていくしかないのかな。
でも、快楽の説明って、難しいんだよなあ、これが。
小学生じゃないけれど、
「言ったらやれよぉ」
と本当に思う。
お金の手当ができなかったから、とかいうんだったら、最初からマニフェストとかに掲げなければいい。
基本的には、高速道路建設当時から一定期間収益が上がったら(元をとったら)無料化すると謳っていたはずだ。
どこまでいったら「元」なのかっていう面倒な議論が起きやすいのは分かる。
簡単にことが進まないのもわかる。
でも、だったら「無料化」とか言わないでおいてほしかった。
まあ、「そううまい話はないんだな」、とマルチ商法に騙された人みたいな感想を持てばいいのかもしれない。
結局国も、得体のしれないマルチ商法みたいなものか。
来年4月からは高速が普通料金に戻るのだろう。
思えば高速料金は、自民党政権時代からコロコロと変わり続けてきた。
百歩譲って無料化は無理だとあきらめるにしても、もっと長距離移動に優しい料金体系にはならないものか。
年金支給が遅れ額も減少したとしても、高速が無料になれば老後の楽しみに長距離ドライブができそうだ、と一瞬思った自分の甘さが悔やまれる。
渋滞するから料金を取るとかいう、ふざげた論理にもならない論理みたいな「雰囲気」さえ感じるのは完全に「僻み」だろうか。渋滞するなら道を作れって話だ。シムシティだってそのぐらいするぜ(苦笑)。
公共的な社会資本の典型が道路だったはずなのに、いつまでも「料金」で縛るのはとりやすいところから取る、ことでしかないと思うのだけれどねぇ。
たばこ料金を上げたり、東電が料金を上げたりするのとは訳が違うよなあ。
今年一番がっかりしたことを、とりあえず書き付けておきます。
燃費の良い車で高速代を浮かそうとか思わないわけでもないが、燃費のいい車はHVとか基本的に高い。
車は乗らないのが一番安いって話になってしまう。
現代においては、どんなバランスを取るのが最適解なのか、という感覚が政治家に十分育っていないような気がする。
いやでも、「政治家」の問題じゃないのかもしれないね。
車を乗り、高速道路を利用して日本全国旅してあるくことに「文化的意義」を感じているのだとすれば、粘り強くその価値を訴えていくしかないのかな。
でも、快楽の説明って、難しいんだよなあ、これが。