龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

ついに福島旧市内の米が出荷停止に。

2011年12月05日 22時39分48秒 | 大震災の中で
日経新聞2011.12.5政府、旧福島市内のコメ出荷停止

伊達市→大波地区→渡利地区
とくれば、「福島旧市内の米が出荷停止になった、と聞いても意外ではない。

悔しさというか切なさというか、正直涙がにじんでくる。

福島の旧市内地区は、私が生まれ育った街だ。そこの土地で作られた米が食べられない、とはどういうことか。

政府の基準値など満たしていても今年の福島県産米は食べないよ

っていう人もいるだろう。
だいたい安全基準自体さして根拠があるとも思わないし、検査もまた、安全宣言の後で次々に基準値超の結果が出てくるなど、マネージメントとしては最悪の状況だ。

そういう意味では、昨日と今日で事態が本質的に変わったわけでもない。

しかし、人為的かつ恣意的な基準と制度の中ではあっても、昨日まで食べられたはずのお米が食べられなくなった土地に留まって生きることの悔しさを思う。
そこに住む沢山の知人・友人・親戚の人々、そしてお店やさんや街の風景などを考えただけで、100キロ離れたいわき市に住む自分の背中から何かがすうっと抜けていってしまうように感じる。

食べられないお米を産する土地に住むことの不幸は、計り知れない。
繰り返すが、昨日までは食べられたお米が食べられなくなってしまった土地(厳密には出荷停止と食べられる食べられないはイコールじゃないのだろうが)の上になおも生活していくことの意味は重い。

明日から、福島市では

「これは余所の米だから安全だ」

っていう話でもちきりになるのだろう。
あるいは、

「福島旧市内の米は出荷停止になったけれど、うちのは基準値以下だから構わずに食べるよ」
、という話だって盛んになされるはずだ。

へこたれそうになっているのは、福島県民の中で、オレだけだろうか……うみぅ……。

生まれ故郷の米が食べられない、というのは離れている者にとっては逆にショックなのかもしれない。
しかし、やっぱ折れるわぁ。