天海祐希が好きだ。織田裕二も嫌いじゃない。佐藤浩市は無論いい役者だ。
でも、この3人を並べて映画を撮るのは結構難しいんじゃないか?
そう思った。加えてイタリアの風景も主役にしなきゃならない。
脚本をもう少し練り上げて、さらにストーリーを3回ぐらいひねっても良かったのじゃないか。
天海祐希は確かに美しいけれど、「絵」として撮ったら動きが消える。勿体ない。
佐藤浩市の動機を誰か他の役者に調べさせ、セリフで喋らせるのも勿体ない。
スケジュールが押さえられなかったのか?とか呟いてしまいそうだ。
映画にかけられたはずの「時間」の濃密さが希薄なのだ。
織田裕二の映画はこれが4本目だろうか。『ホワイトアウト』の時にも感じた傑作になり損ねる無念さを、ここでもまた彼の映画は繰り返している。織田とか天海とかは、彼らの持っている濃度の良さは、もっと速度を上げたり、もっと遅くしたりして具体的に画面を前後に揺すらなくていけない、と思うんだけど、どうなんでしょうね。
そういう無茶には耐えられる素材だよねえ。
ま、観てしまった私の側の問題、なのかもしれないのだが。
でも、天海祐希を観たいから(笑)、しょうがないのです。
でも、この3人を並べて映画を撮るのは結構難しいんじゃないか?
そう思った。加えてイタリアの風景も主役にしなきゃならない。
脚本をもう少し練り上げて、さらにストーリーを3回ぐらいひねっても良かったのじゃないか。
天海祐希は確かに美しいけれど、「絵」として撮ったら動きが消える。勿体ない。
佐藤浩市の動機を誰か他の役者に調べさせ、セリフで喋らせるのも勿体ない。
スケジュールが押さえられなかったのか?とか呟いてしまいそうだ。
映画にかけられたはずの「時間」の濃密さが希薄なのだ。
織田裕二の映画はこれが4本目だろうか。『ホワイトアウト』の時にも感じた傑作になり損ねる無念さを、ここでもまた彼の映画は繰り返している。織田とか天海とかは、彼らの持っている濃度の良さは、もっと速度を上げたり、もっと遅くしたりして具体的に画面を前後に揺すらなくていけない、と思うんだけど、どうなんでしょうね。
そういう無茶には耐えられる素材だよねえ。
ま、観てしまった私の側の問題、なのかもしれないのだが。
でも、天海祐希を観たいから(笑)、しょうがないのです。