8.7%ほど安くなるかもしれないとはいえ、それなりの給料をもらっているのだから「仕事が忙しい」なんて愚痴をブログで書くのもためらわれる。
が、それでも結構忙しかった。
入試の業務が2~3回入ってくる。
年度末の事務処理や引き継ぎもある。
今年度の反省もある。
来年度のイベントの計画も立てねばならない。
そうなると仕事量が増えて、なおかつ会議も増える。
ままならないのが世の中だ。
一つ一つ目の前の仕事をこなしているうちに幸せになれるのならば精勤する励み もある。
だが、被災のプレハブ校舎は根本的に落ち着かない。
「生存可能性条件が揺らぐ」とは、こういうことだったのだと日々身にしみて感じている。
自分たちの行動の前提になっていた共有基盤を失ってなおかつ「普通の」生活を続行するというのは、精神的&肉体的負担が思いの外に大きい。
本来は何でもないこと、震災がなかったなら普通だったことなのに、震災後その普通を保つために行動していくと、しだいに精神のエネルギーの供給が間に合わなくなっていく、そんな感じだ。
大きく言えば、東日本の復旧か復興か、なんて話になるのかも知れない。
でもそんな大きな話じゃなくて、日々の小さなことですら、いつものようにはできない。かといって昔と同じようにやればいい、というわけでもない。
震災を生きるとは、こういうことなのだ。
だから、被災地の人は、望んでもいないのに「哲学」を必要としてしまう。
永井均だったか、哲学は問いを共有するものであって、答えがでたときには当たり前の普通、でしかない、てなことを言っていた。
この一年間考えていたのはまさにそういう種類のこと。
様々に選択は出来るし、覚悟だってないこともない。
しかし、問いに対する「普通の答え」はまだ出てきそうにない。
さて、二年目はどうなるのだろうか。