週末2泊3日の予定で鎌倉に行ってきた。
ところが2泊を終えた時点で、これはもう少し滞在したいと思い、延泊して3泊4日になった。
「多動児」の自分にとって、そういう場所はけっこう珍しい。
それだけ鎌倉には魅力があった。
それは思うに、「参照点」としての魅力だ。
なんでも東日本大震災から考える癖がついている。
おそらく私は生きている限り、この思考のスタイルを続けるのだろう。
そして、鎌倉に行ってその魅力を感じるときも、東日本大震災と原発事故という
「人為=≠自然の裂け目」
について同時に考えている自分を発見する。
鎌倉で考えたのは「参照点」について、だ。
私たちは「広島」「長崎」「沖縄」を決定的な「参照点」として抱えている。
これらはもちろん観光地でもあって、修学旅行のメッカでもあり、また歴史教育の現場でもある。
つまり、私たちはこれらの場所を「参照点」としているのだ。
何かを見て、考え、行動や思考の基点にしている、もしくは自分の何かを移す鏡の作用を受け取っているのではないか。
「参照点」は、その場所自体を見ることが目的ではない。その場所をキックすることによって、思考が起動するフックのようなものだ。あるいは、思考をいったん停止してリセットする働きを持つこともあるかもしれない。
観光地は、ただ景勝地であるだけではいささか不足だ。景勝地が「参照点」であるためには、そこについての言説が積み重ねられていなければならないだろう。それは伝説であっても、歌枕であっても、歴史的不幸であってもいい。
こういう言い方は不謹慎なのかもしれないが、その不謹慎さは同時代故のものであって、鎌倉とか京都まで「熟成」すると、「参照点」としては完成度が高くなっていく。
いいとか悪いとかではなく、福島はその道を辿り始めているのではないか。
そんな思いがあるのだ。
当たり前だが、参照点になるべきだとか、過去の傷を「売り」にするべきではないとか、そんな種類のことがいいたいのではない。
好むと好まざるとに関わらず、福島は参照されつづけている。
その中で、福島に住む人間の声がきちんとそこに届いていかなければ、「都で近頃噂の歌枕」に終わってしまいはしないか。それはいかがなものかと思われる、という思いがあるといえばある、ということだ。
表象として勝手に参照され、それが「フクシマ」になったり「アキラメナイ」になったりするのは止めようもないし、止めるべきでもないのだろう。
ただ、参照される身としては、何がそこで参照され、何が参照され得ないのか、に興味がある。
そしてもちろん、容易には参照され得ないけれども、取りこぼされたままにしてはおけない、という思いがそこに生まれるとしたら、そのことこそ、私(わたしたち)が考え続けていかなければならない「場所」でもあるだろう。
さて、まだここは鎌倉の話だった。
鎌倉の食べ物は、ちょっと旨い。その、ちょっと旨いってのがけっこう大変なことらしい、というのは、旅をしはじめてから分かってきた。お菓子が美味しいのは、たとえば酒田。たとえば金沢。無論京都も旨いし、手っ取り早く手に入りやすいのは東京のデパ地下が一番だったりもする。
今はネット通販でかなりの「旨いもの」がお取り寄せ可能だったりするから、わざわざ現地まで出向くにも及ばないということもある。
むしろ、きちんと検索して情報の中で適切にチョイスしたほうが、単体で美味しいものならば、効率よく収集かのうでさえあるかもしれない。
でも、揚げたての「鎌倉御坊」は小町通りで食べるに限るし、焼きたてのせんべいはせんべい屋さんの前で「じゅっ」と焦げたてのせんべいを醤油に浸してから手早く海苔で挟み、「はいよっ」って手渡してくれるのをフハフハ言って食べるのに叶わない。その上で、鎌倉のせんべい屋よりは松島の遊覧船乗り場前のせんべい屋の方が旨いとかいうはなしはありえるけれど、食べ物はやっぱりライブに叶わない。
そして、物流の集散地には叶わないのだ。
加えて、文化の蓄積、ということになると、酒田が、金沢が、京都が、鎌倉が、なんでもない普通のお菓子でも「ちょっと旨い」というのが理由のあることだと分かってくる。
つまりは、経済や文化、宗教、政治、軍事などのさまざまなエネルギーが集散する場所として、多層的なレイヤーの「熟成」があるかないか、がそこでは大きな違いを生むということでもある。
鎌倉は100年日本の中心を生きて、その後武士の権力と血の匂いが染みついた後、お寺の密集した農漁村としての歴史を積み重ねていく。
その結果、文化的な「参照点」として機能することになっていったわけだ。
なんの話だ、と思うだろうか。
たとえば、買ってきた2冊のパンフレットを見てもいい。
一冊は東慶寺(縁切り寺として有名)の「天秀尼」という人について永井路子が書いた小冊子。
もう一冊は、義経の企画展で作られたとおぼしい鎌倉文学館の「義経」という小冊子。
どちらも小さいながら、一読して鎌倉が文学の参照点なのだ、ということが分かる文化力を備えている。
鎌倉だけでそれが成立しているわけではない。情報の集散地として機能し、だからそれが単なる情報の集合に終わらなくなるのだ。前者は永井路子という作家の力量によって、後者は多数の人の協力によってという違いはあるけれど、適切な「参照点」としての機能は、バラバラな事実という情報を、それ以上のものとして立ち上げる力を持っているということだろう。
京都のお菓子やお漬け物のうまさ(京料理の懐石をきちんと食せるほどの立場ではないので、せいぜいがところお菓子と漬け物を論じるしかないわけだが<笑>)にもちょっと通じるところがある。
たんなる時の経過ではない。たんなる多様性でもない。多層な書き込みがてんでにありながら、それら個々のレイヤーがズレながら重なっていくことで、「ちょっとない」ものがそのズレと重なりから生まれてくる。
そして面白いのが、どこかの田舎でそれがひっそりと蟻塚のように完成するのではなく、観光だったり文学者の移住だったり、権力の要請だったり、なにか自立した文化とは全く異質の「力」がそこを参照することによって輝いて見えてくるという点だ。
鎌倉は、関東における、随一の「参照点」だといっていいだろう。
日光は江戸以後だしね。
福島もまた、そういう「参照点」としての産声を上げ、一歩を踏み出したところではないか、と思われる。
世迷い言もいい加減にしておけ、と言われるだろうか。
その通り、世迷い言かもしれない。
自分がその中で生きているうちに、未来の参照点としての自分の場所を考えるのは、バカもここにきわまれり、ということになるのか。
さてだが、世界の中の「ここ」を考えようとすれば、いずれも世界秩序の具体的な作用点として「参照」されるほかない、とも言える。
私たちは現状を肯定するのでもなく、否定するのでもなく、今ここにある可能性条件を踏まえてでなければ、現状を変えることもできなければ、守ることもできないのではないか。
だとすれば、まず私たちが私たちの「ここ」を参照する手だてを学ばなければならない。誰に?どこで?どんなふうに?
その学びには手本や方法がない。
そんなことを、頼朝の墓から大蔵幕府があったと言われる学校の敷地の方を眺めつつ、ぼんやりと考えた。
![](http://pub.ne.jp/foxydog/image/user/1356562956.jpg)
ところが2泊を終えた時点で、これはもう少し滞在したいと思い、延泊して3泊4日になった。
「多動児」の自分にとって、そういう場所はけっこう珍しい。
それだけ鎌倉には魅力があった。
それは思うに、「参照点」としての魅力だ。
なんでも東日本大震災から考える癖がついている。
おそらく私は生きている限り、この思考のスタイルを続けるのだろう。
そして、鎌倉に行ってその魅力を感じるときも、東日本大震災と原発事故という
「人為=≠自然の裂け目」
について同時に考えている自分を発見する。
鎌倉で考えたのは「参照点」について、だ。
私たちは「広島」「長崎」「沖縄」を決定的な「参照点」として抱えている。
これらはもちろん観光地でもあって、修学旅行のメッカでもあり、また歴史教育の現場でもある。
つまり、私たちはこれらの場所を「参照点」としているのだ。
何かを見て、考え、行動や思考の基点にしている、もしくは自分の何かを移す鏡の作用を受け取っているのではないか。
「参照点」は、その場所自体を見ることが目的ではない。その場所をキックすることによって、思考が起動するフックのようなものだ。あるいは、思考をいったん停止してリセットする働きを持つこともあるかもしれない。
観光地は、ただ景勝地であるだけではいささか不足だ。景勝地が「参照点」であるためには、そこについての言説が積み重ねられていなければならないだろう。それは伝説であっても、歌枕であっても、歴史的不幸であってもいい。
こういう言い方は不謹慎なのかもしれないが、その不謹慎さは同時代故のものであって、鎌倉とか京都まで「熟成」すると、「参照点」としては完成度が高くなっていく。
いいとか悪いとかではなく、福島はその道を辿り始めているのではないか。
そんな思いがあるのだ。
当たり前だが、参照点になるべきだとか、過去の傷を「売り」にするべきではないとか、そんな種類のことがいいたいのではない。
好むと好まざるとに関わらず、福島は参照されつづけている。
その中で、福島に住む人間の声がきちんとそこに届いていかなければ、「都で近頃噂の歌枕」に終わってしまいはしないか。それはいかがなものかと思われる、という思いがあるといえばある、ということだ。
表象として勝手に参照され、それが「フクシマ」になったり「アキラメナイ」になったりするのは止めようもないし、止めるべきでもないのだろう。
ただ、参照される身としては、何がそこで参照され、何が参照され得ないのか、に興味がある。
そしてもちろん、容易には参照され得ないけれども、取りこぼされたままにしてはおけない、という思いがそこに生まれるとしたら、そのことこそ、私(わたしたち)が考え続けていかなければならない「場所」でもあるだろう。
さて、まだここは鎌倉の話だった。
鎌倉の食べ物は、ちょっと旨い。その、ちょっと旨いってのがけっこう大変なことらしい、というのは、旅をしはじめてから分かってきた。お菓子が美味しいのは、たとえば酒田。たとえば金沢。無論京都も旨いし、手っ取り早く手に入りやすいのは東京のデパ地下が一番だったりもする。
今はネット通販でかなりの「旨いもの」がお取り寄せ可能だったりするから、わざわざ現地まで出向くにも及ばないということもある。
むしろ、きちんと検索して情報の中で適切にチョイスしたほうが、単体で美味しいものならば、効率よく収集かのうでさえあるかもしれない。
でも、揚げたての「鎌倉御坊」は小町通りで食べるに限るし、焼きたてのせんべいはせんべい屋さんの前で「じゅっ」と焦げたてのせんべいを醤油に浸してから手早く海苔で挟み、「はいよっ」って手渡してくれるのをフハフハ言って食べるのに叶わない。その上で、鎌倉のせんべい屋よりは松島の遊覧船乗り場前のせんべい屋の方が旨いとかいうはなしはありえるけれど、食べ物はやっぱりライブに叶わない。
そして、物流の集散地には叶わないのだ。
加えて、文化の蓄積、ということになると、酒田が、金沢が、京都が、鎌倉が、なんでもない普通のお菓子でも「ちょっと旨い」というのが理由のあることだと分かってくる。
つまりは、経済や文化、宗教、政治、軍事などのさまざまなエネルギーが集散する場所として、多層的なレイヤーの「熟成」があるかないか、がそこでは大きな違いを生むということでもある。
鎌倉は100年日本の中心を生きて、その後武士の権力と血の匂いが染みついた後、お寺の密集した農漁村としての歴史を積み重ねていく。
その結果、文化的な「参照点」として機能することになっていったわけだ。
なんの話だ、と思うだろうか。
たとえば、買ってきた2冊のパンフレットを見てもいい。
一冊は東慶寺(縁切り寺として有名)の「天秀尼」という人について永井路子が書いた小冊子。
もう一冊は、義経の企画展で作られたとおぼしい鎌倉文学館の「義経」という小冊子。
どちらも小さいながら、一読して鎌倉が文学の参照点なのだ、ということが分かる文化力を備えている。
鎌倉だけでそれが成立しているわけではない。情報の集散地として機能し、だからそれが単なる情報の集合に終わらなくなるのだ。前者は永井路子という作家の力量によって、後者は多数の人の協力によってという違いはあるけれど、適切な「参照点」としての機能は、バラバラな事実という情報を、それ以上のものとして立ち上げる力を持っているということだろう。
京都のお菓子やお漬け物のうまさ(京料理の懐石をきちんと食せるほどの立場ではないので、せいぜいがところお菓子と漬け物を論じるしかないわけだが<笑>)にもちょっと通じるところがある。
たんなる時の経過ではない。たんなる多様性でもない。多層な書き込みがてんでにありながら、それら個々のレイヤーがズレながら重なっていくことで、「ちょっとない」ものがそのズレと重なりから生まれてくる。
そして面白いのが、どこかの田舎でそれがひっそりと蟻塚のように完成するのではなく、観光だったり文学者の移住だったり、権力の要請だったり、なにか自立した文化とは全く異質の「力」がそこを参照することによって輝いて見えてくるという点だ。
鎌倉は、関東における、随一の「参照点」だといっていいだろう。
日光は江戸以後だしね。
福島もまた、そういう「参照点」としての産声を上げ、一歩を踏み出したところではないか、と思われる。
世迷い言もいい加減にしておけ、と言われるだろうか。
その通り、世迷い言かもしれない。
自分がその中で生きているうちに、未来の参照点としての自分の場所を考えるのは、バカもここにきわまれり、ということになるのか。
さてだが、世界の中の「ここ」を考えようとすれば、いずれも世界秩序の具体的な作用点として「参照」されるほかない、とも言える。
私たちは現状を肯定するのでもなく、否定するのでもなく、今ここにある可能性条件を踏まえてでなければ、現状を変えることもできなければ、守ることもできないのではないか。
だとすれば、まず私たちが私たちの「ここ」を参照する手だてを学ばなければならない。誰に?どこで?どんなふうに?
その学びには手本や方法がない。
そんなことを、頼朝の墓から大蔵幕府があったと言われる学校の敷地の方を眺めつつ、ぼんやりと考えた。
![](http://pub.ne.jp/foxydog/image/user/1356562956.jpg)