龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む(1)

2013年11月13日 01時42分43秒 | 大震災の中で
ベンヤミン、文庫のコレクションは持ってるけど、正直どう読めばいいのか分からない(歯が立たない)文章が多くて、複製芸術~とパサージュ論(岩波の文庫)を読んだぐらいであとは積ん読だった。

ところが、昨日、Facebookのグループでチャットめいたやりとりをしていたら、一人が飲みながら

「ベンヤミンが難しい」

とかつぶやいた。
もう一人も(たぶん飲みながら)、細見和之『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』は何度読んでもいい、とかいいつつ

「しかし私見を述べるのはためらわれる」

とかつぶやきかえした。
私は〆切を過ぎた原稿を抱え、しらふで苦しんでいたが、

「そうだよ!知ってるよ!」

と改めて思って、でもなんだか悔しくて、締切原稿逃避のため、ベンヤミンコレクション(ちくま文庫)第1巻目の最初
『言語一般および人間の言語について』
を読み返しはじめた。

やっぱり言語・精神・人間とか、それこそ固有語法(イディオム)的な表現が多くて、イライラさせられる。とくにこれは言語論なのに(たぶん……)、言語という表現がある種おまじないのように使われていて、本当に読めるのに分からない状態になる。

だが、このベンヤミンの「固有語法」とでも言うべきものを「音楽」のように受け止めてみると、全くちがった景色が立ち上がる。

つまり、私にとってそれはスピノザ的な神様に関わることなのだが、あたかもそのスピノザ的世界像と響き合わせられるところがあるかのように感じ始めることになるのだ。


つまり、ベンヤミンのテキストは、おそらく読み手のそういうところに「触れる」んだろう。

最初は読解できない、ある種の「拒み」を感じるのに、あたかも立体映像が見えてきた時のように、、ある瞬間、そのもどかしさが、むしろ「欠如」を浮き彫りにするというか、「神様」を示すマジックワードとして、読めてしまう次元に誘われていくのだ。。

テキストの欲望を映し出すテキスト。
読者の「私」がむしろ映し出されてしまいかねないような。

彼のテキストが指し示すかに見えるその指し示しの身振りに、たやすく「名付け」を与えることはできない。
テキスト自身がそう言っているのにも関わらず、読者は「主体」を演じてしまいかねない。

これは面白いが、難しい。

細見和之の本が届いたけれど、その前に、自分の中のスピノザの「表現」について考えながらこの本を読んでおきたい、と思った。
とりあえず、この言語論だけでも向かってみるとしよう。


『動きすぎてはいけない』出版記念千葉雅也×國分功一郎対談(池袋リブロ)のメモです

2013年11月13日 01時11分48秒 | 評論
千葉雅也×國分功一郎『動きすぎてはいけない』出版記念トークイベント(11/8於:池袋リブロ) のメモです。


http://blog.goo.ne.jp/foxydogfrom1999/e/055dff22f17dfcdfb5744a6f920409f0

トークイベントはとっても面白かったです。
でも、『動きすぎてはいけない』の本そのものは、必ずしもこの対談のようなトーンではありません。

國分さんがきわめてクリアに、お二人に共有する問題意識から本の説明をしてくれていて、だから自分がすらすら千葉さんの本を読めたような気持ちになったりもしたのだけれど、実のところをいえば、千葉さんの文体は國分さんのクリアカットな「文体」とはある種対照的な「繊細さ」を持っていますから(それ自体は國分さんがこれまた実にクリアに説明してくれているんだけれど)、簡単には読めない。

それは単に「難しい」ということとは違っている。
もちろん簡単ではないが、でも単に難解・晦渋というのとも違う。

ものすごく面白いし、全く知らないことが書いてあっても、千葉さんの「誘い」は常に読者を見失わない。この高い水準の哲学書としては「すごい」ことですよねえ。普通はポップになっちまうか、もっとガチガチになる。でも千葉さんの本はそうはならない。
これもまた千葉さん國分さんがトークで指摘しているとおりなんですが。

なんだろう、終わらないというか、収斂しないというか。
でも、國分さんのあたかも神さまがいるかのようなクリアさとはまた違う、神様を丁寧に消去しつつしかしその軌跡はたどれるようにしてあるといった、微細なクリアさがそこにはあるんですよ。

ぜひよろしかったら『動きすぎてはいけない』の前でも後でも、参照してみてください。
例によってノートと記憶を頼りに再現していますから、間違っているところがあったらごめんなさいです。

p.s.
ちなみに、今、翌日(11/9土)に駒場で行われた表象文化論学会での、お二人の本の書評パネルのまとめメモも作っています。
これは
國分功一郎(高崎経済大)
千葉雅也(立命館大)
堀千晶(早稲田大)
佐藤嘉幸(筑波大)
の4人のパネラーが、みっちり國分・千葉両氏の本について互いに批評し、評価し、疑問をぶつけるという密度の濃い内容なので、これはなかなか終わりそうにありません。
だいたい哲学者の名前とか専門用語とかが飛び交ってて、聞いていてもよく分からない場合があるわけで、メモにもなっていないところがあるのですが。

期待している方もおられないかもしれませんが、今しばらくお待ちを(笑)。