龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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高崎経済大で、國分ゼミのキルケゴールのワークショップに参加した。

2013年11月29日 21時31分51秒 | 大震災の中で
現代思想の源泉としてのキルケゴール ──生誕200周年記念ワークショップ
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2013/11/workshop_kierkegaard/


に参加してきた。
高崎経済大学國分ゼミ主催のキルケゴールワークショップである。
金曜日はお三方の発表だったが、非常に興味深く話をうかがうことができた。

一橋の藤野先生は、2000年に発行されたキルケゴールの伝記的研究の決定版ともいえる本のなかから、いくつかエピソードを拾って素人にも楽しめ、かつおそらく専門家の方にも興味深い基調報告を。

早稲田の串田先生はハイデガーとキルケゴールの「隠匿」をめぐって。
これはハイデガーとキルケゴールって切っても切れない関係だと素人なりに思っていたのに、ハイデガーの方に転換があってキルケゴールに言及しなくなるとか、キルケゴールを単純に参照しているのではなかったとか、しかし非隠匿性=開かれ=真理だとして、でもそれはいわゆる単に光を当てることではなくて、むしろ光を当てることによって隠されてしまうということがあり、むしろハイデガーが示さないところに注目すべき側面があるのではないか、という、難しいけれど楽しいお話。
後半はハイデガーの芸術論から古今和歌集の業平の歌に見える「心の闇」にまで話が及び、とても楽しいシークエンスでした。
三つ目は英米系の倫理学の方面から「良く生きる」をどうかんがえるか、という視点で論じて下さった慶應の長門さん。
反復と瞬間を、時間軸の捉え方、物語的な側面から考え、反復とは出会い直しでもあり、瞬間は決して断片化?計量化可能なものではない、と論じて下さいました。
素人にはとっても腑に落ちるお話で、元気が出ました。
思わずツボがよく分からないのに質問して、困らせてしまいましたが。
遠慮を知らない年寄りだと思って許してもらいましょう(苦笑)
でも、折角来たんだから、何か質問して自分でもその場所に参加した臨場感が欲しいんですよね。
ゼミ員じゃないんだけれど。

明日はさらに7本の発表があります。
國分先生、10本は多くね?とも思うけれど、楽しみです。

大変興味深いのは、キルケゴールの専門家は藤野先生だけで、あとはいわゆるキルケゴール研究者じゃないというところ。
いわゆるプロパーから見たら哲学の専門家ではあっても、キルケゴールに関しては「素人」なのだそうです。
でも、ここ「キルケゴール学会」をしたいわけじゃなくて、
「学会みたいなことをしたかった」
と國分さんは言っていて、それが面白かった。
藤野先生が、
「だから『活気』を感じるんだよね」
と言っておられたのがわかる気がする。
領域横断というのは緊張感や活気があってこそよく回るものだものね。
同じことをやるのが「反復」ではない、ということでもあろうか。

明日がさらに楽しみです。