龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」を観ている

2015年10月12日 21時25分59秒 | 観光
TVで見逃したNNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」をYOUTUBEで観ている。

2015/10/08 に公開
NNNドキュメント '15
シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言(YouTube)

[高画質版] https://youtu.be/8IuMBBWB4CQ

https://www.youtube.com/watch?v=QsGC7Qi7Y-8


「正確な死者の数が分からない」と言い募って虐殺を矮小化したり、
「戦争だったのだから」と相対化したり、

日本人として引き受けるべき事実から瞳をそらす言説が、むなしくなる。

大切なのは、「戦争は愚劣だ」ということだ。戦争をして、かつ負けるというのは、その愚劣さを自らの上に引き受けることに他ならない。
勝った側が別に正しいわけじゃあない。勝とうが負けようが、繰り返すが「戦争は愚劣」だ。

こういうものはいろいろな立場もあり、政治的にも複雑だから、発言するのは本当に難しいのだけれど、「日本人」の名の下で、その事件をより小さく受け止めようとするのは、むしろ日本人の尊厳を傷つけることになるのではないか、と改めて思う。

まあ、なかなかそう簡単には、どこが事実かという議論の沼には入っていけないけどね。
そこが歴史修正主義者の付け目なのだろう。

そういう意味でも、このドキュメントの製作者の方々には本当に尊敬の意を表したい。


誰がやったことであっても、それが中国の人であれ日本の人であれ、その非道な行為は詳らかにして後生に伝えるべきだろう。

そう思う。

ただし、国と国との交渉は、政治だから、また別の次元の議論がある。

たとえば、仮に裁判ともなれば全力で無罪を主張するのは当たり前のことだし(見苦しいことはあるにしても、主張やできない検証ですらせねばなるまい)、まして国と国との利害で七〇年も前のことを言い出すのは、否定するにしても肯定するにしても、政治的意図がゼロのはずもない。

だが、一市民としては南京事件に瞳を凝らす義務がある。
一市民の被害に対して、真摯に向き合う義務がある。

国家は、市民としての私と別に同一でもなんでもないし、同一である必要もない。
私は南京事件を国家が否定するのであれば、その国家を否定するだろう。
そうではない人もいるだろうが、それはそれでとりあえずはやむを得ない。

国家は「人格」じゃないから。

だが、人間としてきちんと認めるべきものを認めなければ、その市民が構成している国家だってダメになるでしょう。

国家が裏で取引したりオフレコで薄汚いパワーバランスを考えることと、市民が被害者と向き合うこととは、同じ次元で考えちゃダメ、なんじゃないかな。

国家と自分を同一視しようとすると、歴史もそりゃ修正したくなっちまうんだろうな、と思う。病気だね。

国家なんてクソに決まっている。

それは日本でも中国でもアメリカでもシリアでもたいした変わらないクソなシステムでないはずがない。

ちょっと前までの日本は、左翼はソビエトや中国の支持・指示を受け入れつつも、この国をよりよくしたいと考えてはいただろうし、保守はアメリカのマペットになりつつそれでもなお、日本をなんとか半ば自立させて行こうとは念じていたはずだ。

まあ、とりあえず日本人としては相対的に自分のところの国=日本の方がよりましでありたいとは願うにしても。

繰り返すが、政治がクソだからといって、我々がそそっかしく絶望する必要もなければ、クソのまねをする必要など、ない。

そして戦争は、市民一人一人がそのクソな国家を模倣せざるをえなくなるから、反対なのだよ。

私個人にとっては、ね。

この番組は、そんなことも改めて自覚させてくれた。