ドキュメンタリー映像上映&トークイベントにいってきた。
参加して良かった。このイベントから以後、
「福島の被災は、放射能だけではない」
のメッセージが自分のところまで届く、という意味をしみじみ考えている。
肉親が津波で行方不明になった上野敬幸(南相馬市)・木村紀夫(大熊町)両氏が、海辺で捜索を続ける様子を取材しつづけたドキュメンタリー映像(制作は笠井千晶氏)を観つつ、改めて二人に笠井氏がインタビューしていく、
というイベントだった。
娘や息子を津波に奪われた父親がその個から発していく深い感情、それが淡々と描かれる映像から伝わってくる。
単に想像力に基づいた共感を求めるのではなく、そういう事実が「ある」、という形でその「姿」が立ち現れてくる、そのことがしだいに心の中に染みこんでいく。
原発事故の被害とが重なり、その中で行方不明になった人を捜索することさえ十分にできない
中で最愛の子どもたちを探す上野・木村両氏の姿が描写されているうちに、私は、「父親」としての自分のあり方を逆照射されているようにも感じた。
彼らは、津波と向き合うことで、津波にのみ込まれた娘や息子、肉親たちと向き合うことで、「遅れた(生き残った)」自分たちと向き合っているようにも思われた。
原発被害は、未来の健康被害(「ただちには影響がない」<枝野>の向こう側ですね)を中心に語られることが圧倒的多い。
だが、それだけではない。
私たちが生きることは、様々な「層」を同時に生きることだ。
「多層性」を積極的にとらえ損ねて生きることがあたかも「効率よく生きる」ことででもあるかのような言葉を発してしまいさえするけれど、「それだけ」で生きているはずがない。
そんなことも考えさせられる。
「個」から始まる、ということは、その複数性を不可避的に生きること、でも、あるのかもしれない。
これはずっとずっと考え続けていかねばならない宿題をもらった、ということだろう。
内容はこちら。(「未来会議」Facebookより引用)
行方不明の二女・汐凪ちゃんを捜す「team汐笑プロジェクト」の木村さん、行方不明の長男倖太郎くんを捜す「福興浜団」の上野さんの写真を中心に、渋谷敦志氏、尾崎孝史氏、岩波友紀氏の3氏が現在に至まで被災地を撮り続けた作品約30点を展示します。
写真展期間中である10月10日は、東京電力福島第一原発から20キロ圏内を中心に故郷の復興に携わり、悲しみを乗り越えようと活動を続ける人たちや「福興浜団」の活動などを、笠井千晶氏が2011年から約4年にわたり撮影し制作したドキュメンタリーの上映と共に、お三方のこれまでの活動や想いを語っていただくトークイベントを開催します。