龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

こんな記事も(ベガルタ仙台×いわきFC)

2023年03月13日 15時03分15秒 | いわきFC
こんな記事も。

J1昇格を狙う仙台が、昇格組いわきに完封負け。突きつけられた成熟度の違い。ブレずに確固たるスタイルを構築したい



ベガルタ仙台もこのままではいられないってことですよね。

いわきFCも、J2 の強い相手がワンチャンスを。ものにしてしまうされてしまうその「危険」に対応するには更なる「進化」が必要なんですね。

郷家選手のコメント通り、いわきFCは基本的に攻め合いになるので、相手にもチャンスが生じる確率が高い。
引用開始
「宮城県多賀城市出身で、この試合にかける思いも強かった郷家は『出場した3試合で一番チャンスがありました。僕が決めていればチームを楽にさせられましたし、失点も無かったかもしれないので、責任を感じています』と悔やむ。」
引用終了

もし仙台が決定力を発揮していれば、いわきは勝てなかったかもしれません。
ただいわきFCの試合ができていたから相手がバランスを崩してしまい、「余裕のあるシュート」を打たせなかった、とも見える。

次はさらに厳しい闘いになるであろうみちのくダービー。
良い試合を期待したいですね。
その上でいわきが勝てたらいいんですが(笑)

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た。

2023年03月13日 11時42分32秒 | メディア日記
仕事に間が空いたので、映画を観てきた。

仕掛人藤枝梅按
ブルージャイアント
対峙
エブエブ

と、タイプの異なる映画を立て続けに見たのだが、今日はエブエブのことを書く。
映画についてはこちらを。

とにかく愉快な映画だった。
経営しているコインランドリーの税金申告手続きに苦しみ、離婚の危機に瀕し、娘が助成の恋人をパーティーに、連れてくるというので父親(娘の祖父)の反応に悩み、人生に押しつぶされそうな中年女性を、カンフー女優(その程度の認識で済みません)のミシェール・ヨーが演じるというだけで面白そうなのに、設定が並行宇宙(マルチバース)の分岐に寄って請じているありとあらゆるキャラクターを主人公が「演じる」というのだから、訳の分からないカオスな面白さが保証されているようなものだ。

実際、メチャクチャな設定を上手に映像化していて、しかもあらゆることを「主題」とするのではなく、ひたすらパロディのように(しかし、もちろんパロディが主題でもない)連写していくどたばたコメディの速度が、決して、見る側を圧倒するのではなくウェルメイドに誘ってくれるのだ。
ウェルメイド、といえば、ありきたりのフレームに上手にお話を載せて安心して観客を慰撫してくれる作品を褒めつつもいささか揶揄することばであることが多いのかもしれない。
しかし、そういうこととも無縁だ。

これは本当にADHDのための作品(つまりは自分のための作品)だ、と思った。

辻褄は、主人公が主人公で「ある」ことに拠って保たれている。
設定によって保たれているのではない。物語によってささえられているのでもない。
この作品はだから、いかに賞を獲得しようとも、その症の重さにおいてかたられる必要はない、ともいえる。

拡散し、スライドし、様々な場所と時間、そして様々な私でありながらも、それらはつながりを保たずに繋がっている、そんな感覚を甦らせてくれる。

傑作なのかどうかは、分からない。
この映画が称揚される時代が幸せなのかどうかも分からない。
でも、ビンセント・ギャロの『バッファロー'66』以来の、これは
「オレの映画だ」
という感触を得た。

すぐに見直そうとは思わない。すでにおなか一杯である。とりあえず劇場で見直すなら断然『BLUE GIANT』だろう。あの映画は何度でもサラウンドで鑑賞したい。

それでも、エブエブは「オレの映画」だ。そう思う。


バックパスにため息をついたベガルタ仙台のサポーターの気持ち。

2023年03月13日 09時45分41秒 | いわきFC
FOITBALTRIBE
に、こんな記事が掲載されていたのを、スマートニュースで知った。
真瀬という選手が試合後半でバックパスを選択したとき、会場からため息が出だシーンがあったのだ。

昨日(2023年3月12日)ユアテックスタジアムのアウェー責任でいわきFCの応援をしていたのだが、この場面、ちょっとびっくりしたので覚えている。

そもそも、仙台といわきではプレースタイルが全く異なる。

おそらくいわきは、バックパスで必要最低限の立て直しはするが、すぐに前に放り込んでみんなでダッシュするスタイルなので、我々いわきFCのファンはこういう辛さをあまり味わうことがない。

それに対してベガルタ仙台は、いきなり前線にボールを放り込むような乱暴なことはしない。きちんとボールを保持してビルドアップしていくタイプのチームだ。

1試合見ていればそのぐらいは素人でもわかる。この、

ベガルタ仙台×いわきFC

におけるボール保持率はおおよそ
60:40
。ベガルタ仙台のボール持ち、な時間がずっと多かったはずだ。パスをつなぐ数だって成功率だって、おそらく仙台が多い。

そういうサッカーの違いがある。

その上で、
「昨日はいわきFCの日だった」
ということなのだろうと思う。

あの時、場内では、スタジアムの9割は、ベガルタ仙台の応援をする黄色で埋め尽くされていた。
そこから、ため息ともブーイングともつかない異様な雰囲気が出たのを、アウェーの席でも感じたのだ。

思うに、それはあの試合に対するもどかしさ、フラストレーションが高まったファンの正直な気持ちが現れていたのだろう、と感じた。むしろファンならそうなるんじゃないかな。

しかし同時に、ファンならば個人的な選手批判なんぞをやっている暇はないんじゃないかな、とも思う。あの試合でバックパスをした真瀬選手というのかな、彼を責めるのは批評として全くのお門違いだと思う。

そのフラストレーションは分かりますが。

なぜって、あの試合は、ほとんど(言葉は悪いが悪意はありません、念のため。むしろほめ言葉です!)バカの一つ覚えであるかのように
「蹴ったら走る」
を続け、
「常にコンパクトに狭い領域を作ってボールを取りに当たっていく」
いわきFCのサッカーとの戦いだったはずだから。

正直にいえば、いわきFCのファンとしては、明らかに格上のベガルタ仙台の上質で圧倒的多数のファンからのため息をつけたことを誇りに思った瞬間でもあった。

数は圧倒的に少ないが、ファンとしては負けていない、そう思った。
それだけベガルタ仙台のファンの期待値が大きかった、ということでもあるだろう。

勝ち負けを別にして、ね。

そしてそれは、ベガルタの監督が、この試合に限って言えば、いわきの戦術に対応しきれなかった、ということも事実として(いや、結果として、か)あるのだろう。


もしくは格上なら、中盤で、を片側に寄せて人数をかけるいわきの守備(というかボールを奪いにいく姿勢)の裏をかいてサイドチェンジをしたり、オーバーラップをかけたり、隙を見て斜めとかにパスをだしたり、ある種の緩急がつけられていたはずだ。

もし格上なら、何回かあった決定機を決めなければならないはずだった。

真瀬選手のバックパスに象徴されるのは、そういうファンの
「イライラ」
が原因じゃないかなあ。

おそらく、もう一度試合をするときにはベガルタ仙台は攻め上がるいわきの裏を的確について来るだろう。

昨日はベガルタの1トップの選手が何度かオフサイドで止められていた。

それはそれでギリギリを狙うのだから必然なのだろう。けれど、こちら側から見ている限り、1トップを生かせるビルドアップが仙台には少なかったような気がする。

最後に一つ。三戦勝ちがない中でアウェーに応援に来たいわきFCのファンには、選手にブーイングをする余裕なんてない。攻めれば攻められる、それでもボールに寄っていくサッカーを見ていると、何かが起こる感じがするのだ。

失点も得点も含めて。

我々はハラハラしながら見守るしかない。

華麗なパスの上手いサッカーの時代を変えてほしい、といわきのファンは思っているんじゃないかな。

もちろんJ2ではなかなかそれはまだ実現していないけれど。

ベガルタ仙台はビッグチームだから、なかなかそんな風には行かないんだろうかなあ。

そんなことも思って帰ってきた。


そこに行くと初戦の藤枝は、すごかった、と思う。攻撃力でいわきを圧倒していた。これでは勝てない、と思った。

いわきFCに対しては、よりシュートの精度やテクニックを磨いてほしいと切に思う。

けれど、別に華麗なテクニックを求めちゃいない(笑)

そういうことなら、ほかのチームにもタレントはたくさんいる。

むしろ、いわきFCのサッカーを続けてほしいとおもうんだ。

このサッカーでなければ私はいわきFCを応援しないかもしれない。
そんな風にすら、思った。

いろいろメモ代わりに。