龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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「しらみずアーツキャンプ 2019」に参加してきた。

2020年01月19日 20時24分55秒 | 大震災の中で
「しらみずアーツキャンプ 2019」
とは、福島県いわき市内郷白水町というところで開催される芸術祭のこと。
かつて炭鉱で栄えた白水の文化や歴史を学ぶイベントがここ3年開催されている。

2019と題名にあるとおり、本来は2019年10月に開催される予定だったが、10月に起こった大規模災害(台風に伴う水害)によって開催ができず、形を変えて今日(2019/01/19)ようやく一部の企画を実行することができた、という。

私は白水の知人から教えてもらい、ちょうど日曜日が空いていたので、ふらりと参加してみた。
私が参加したのは以下の三つのプログラムだった。

1,「講座 やっちき学概論」 9:00~10:15 講師 江尻 浩二郎 於:旧白水小学校

2,選べるフィールドワーク② 公認ガイドといく 石炭(スミ)の道

3,いわき・浦項(ポハン)潮目文化交流 

どれも面白かったのだが、抜群に興味を引かれたのは1、江尻さんの「講座 やっちき学概論」だった。
いわきには「やっちき」という踊りがあったらしい。しかしそれがよく分からない、というところから始まり、いわきに古くから伝わる念仏踊りの「じゃんがら」について、またいわきの盆踊りについて、昭和56年に創作されたいわき踊り、常磐ハワイアンセンターのキャンペーンで取り上げられた「古代やっちき」、従来の盆踊りを壊すようなはちゃめちゃな踊りがそう呼ばれていた?など、よく分からない「ヤッチキ」というものについて、レジュメ17枚に及ぶ丁寧な資料と、ビデオを駆使して「ヤッチキ」とは何か、に迫っていく。
私は実際のところ、寝坊による遅刻で最初の30分を聞き逃してしまったのだが、これは人生最大級の悔恨だった。

いわきといえば「じゃんがら念仏踊り」であり、盆踊りはだいたい日本全国似たようなもの……といったきわめてぼんやりした認識しかなかった私は、大きな衝撃を受けた。


仮説として提示されたものは5つ……というところからしか聞いていないので、全体像は江尻さんにお問い合わせを。

(1)崩して踊ること、お道化て踊ること、やんちゃに踊ること、激しく踊ること、それらを広く「ヤッチキ」と呼んでいたのではないか?少なくてもそういう語幹だったのではないか。

(2)であるならば、「ヤッチキ」が指し示すものは以下の5つに分けなければならないのではないか。
①文句
②節
③振り
④囃子言葉
⑤立場/昨日

(3)そしてこれまで「ヤッチキ」と一括していたものには以下の5つがあるのではないか。
①いわゆる「上三坂のヤッチキ踊り(≒塙町のとびっこ踊り、浅川町の踊り、磯原花園神社の踊り)
②北好間、内郷のあたりで盛んだった、通常の盆踊りの内側で踊る別な踊り
③通常の盆踊りが早間になって早く踊る早踊り(古殿、小名浜など)
④安達郡岩代町のヤッチキ系(一人で別な踊りを踊って輪を壊す)
⑤白水の念仏ヤッチキ

ここら辺りからのお話を理解した限りでは、白水の念仏ヤッチキというものは、戦後すぐ、炭鉱に働く人たちの間で短期間だけおこなわれた、じゃんがら念仏踊りとは異なる、しかし盆踊りやじゃんがら念仏踊りなどとも共通する側面を持つような猥雑で熱狂的な踊りだった……かもしれない、というように受け止めた(繰り返しますが、正確には江尻さんに確かめてくださいね!アーツキャンプ事務局に問い合わせるとなんとかつながる、かもしれません)。

いや、このお話だけでもわくわくした。
北海道や九州の炭鉱の踊りとの関連、福島県から茨城県にかけての盆踊りの関連、じゃんがら念仏おどりとの関連、常磐ハワイアンセンターが仕掛けた地域興しとの関連などなど、地元の「踊り」一つをとっても、幾重にも折り重ねられた織物の残欠からその着物の全体を想像するような楽しさがかんじられる。

第一、江尻さんの発表には、フィールドワークや文献渉猟がとっても楽しい営みだという波動が満ちている。
もちろん、地元の古老の踊りのビデオ撮影、聞き取り調査、全国に渡る踊りの文献検索など、楽しいだけで済むはずのないご苦労がこの資料やビデオからも十分察せられる。
しかしなお、愉しみながら「問い」を重ねていく「知の営み」の豊かさが、確かにここには感じられた。


2の選べるフィールドワーク②は、みろく沢という場所の炭鉱跡地を巡るものだったが、これは個人的には本当に貴重な体験になった。福島県いわき市がかつて炭鉱の町として栄えたことは知っている。そして石炭の需要の低下とともに産業としての炭鉱は衰微していったことも。
しかし、具体的に江戸末期から明治・大正・昭和にかけてどのように炭鉱産業が栄えていき、ぐたいてきにこの内郷の白水のどんな場所でそれが行われていったのか、現地を歩きながら体験するフィールドワークというのは、めちゃめちゃ楽しくかつためになった。
いわき市湯本には「石炭化石館」という展示館があって、炭鉱の歴史や様子が分かりやすく理解できる学習施設になっているのだが、具体的な現場でその土地の風を体に受けながら感じたのは、空調の効いた展示館でボタンを押すと解説がきける環境とは全く異なった意味/意義がある、という(当たり前といえば当たり前の)事実の重さだ。

午後から行われた3の浦項の方々との交流イベントは、残念ながら途中退席してしまったので、まとまった感想を書けないのだが、一つ印象に残ったことをメモしておく。

浦項では地震の被害を受けてから、その町と人々の心と、共同体を回復しようとする営みがいくつかあって、その中に、他の災害や事故で傷ついた人々を繋いでいこうという試みがF5というチーム(今回きてくれた人々にも含まれている)の仕事が紹介されていた。
韓国の他の地域、他の災害、他の被害を受けた人々とつながり、あるいは外国の、たとえば福島県の人々とつながり、対話をひろげ深めることによって精神の復興の試みとしてくという発想は、私にとって新鮮だった。

休憩時、韓国からきた方の一人に
「浦項の地震の被害は、福島の被害と比べることはできません(被害の程度は軽い、という意味で)。その点をいわきの方がどう感じられるか心配です。いかがですか」
と尋ねられた。

実は、その問いは、私自身、この5年間エチカ福島というワークショップに携わってきて感じていた疑問でもあったから、逆に「ああ、つながっているんだな」と意を強くした。

福島県でも、「福島のことをわかりもしないでしゃべるな」と言わぬばかりの態度を取る人もいる。
それほど攻撃的ではなくても、「福島にはもう大きな問題はないのです。十分復興していけるのです。」と発信したい人もいるし、「他方いろいろな立場があって口ごもるのもわかる」とも言えるし、「福島は未曾有の原発事故のまっただ中にいって、大きな傷を背負ったままではないか」と強く抗議する方がいるのも分かる。

私は口ごもりつつ、それでもなお「表現」と「出会い」のきっかけを模索したいという辺りをうろうろしている。うろうろしつつも、「声の複数性」は担保したいと思う。
経済や政治や既存の壊れかけた共同体の網の目に隠れてしまって聞こえない声に耳を澄ませ続けたいと思う。

そのためにはこういう文化=アートの事業が絶対に必要だ、と改めて思う。

いわきにはたくさんの活動があって、ありがたい。

文化庁の助成は今年限りで、来年以降はこの形では続かないとの噂も聞いた。

田人地区の芸術祭もそうだけれど、地域を具体的にフィールドワークしつつ感じ、考えることを、こういうイベントをきっかけに自分のものにしていかねば。そう改めて考えた。
 




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