龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

映画『ジョジョ・ラビット』を観る。

2020年01月28日 12時59分13秒 | メディア日記
映画好きの男性の友人に
『フォードvsフェラーリ』
を薦められたのだが、同じく映画好きの女性の友人に
『ジョジョ・ラビット』
を薦められ、どちらを観るか迷った挙げ句、今日は後者を選んだ。
朝起きたときから
「ちょっと死んでみても良いかな」
という低い「老(low)」な気分だったので、とてもじゃないけどフェラーリとフォードのレースを観にいく気になれなかったのだ。

『ジョジョ・ラビット』
は、とても小さくて可笑しい映画だった。
対戦末期のドイツを舞台とした映画なのにのっけからヒトラーユーゲント志望の少年が英語で喋っているのが面白い。
それだけで笑えてくる。
作品中、敵性外国人?のアメリカ人と話す場面があるのだが、当然のことながらアメリカ人の言葉の方が最初は訳が分からないものとして出てくる(あんまりしゃべらせていない)し(ソノアト英語シャベッテタトオモウケド)。
そして、ナチスの少年たちを鍛える合宿の指導をしているのが、どう考えてもアメリカ人の将校にしか見えないのが苦微笑を誘う。
映画の「小ささ」は、主人公が10歳ということもあるし、ユダヤ人の隠れるスペースが小さい(狭い)と言うこともあるし、当時のドイツでは心を小さいところにしまっておかねばならなかったということでもあるし。
主人公はアドルフ(妄想)が友人なのだが、その関係も面白い。

子どもの想像するヒトラー像、こんなものだったのかもしれない、と思わせる。ドイツ国内の青少年の大半をナチスの青少年
団として組織していったヒトラーユーゲントの(おそらく)悲劇的な現実を踏まえつつ、あくまで少年の瞳が捉えた世界という「コメディのフレーム」を失わないのが嬉しかった。小さい映画はこうであってほしい。

感想としては、あんなコンビ(コンビニ、ではない)の靴を買いたくなった。
そして、とりあえず明日までは生きてみても良い、と思うようになった。
暗闇で映画を観る功徳には、そういう「効果」もある。


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