龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

九州に行って来た(12)2日目は晴れ!

2010年08月17日 09時29分35秒 | インポート
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阿蘇の初日は小雨がぱらつき山の全体像が見えなかったので、次の日は行ったん高千穂に行ってから午後にもう一度阿蘇に戻り、晴れた阿蘇全景をなんとか見たいと考えた。

次の日は幸いに雲一つない快晴。
8月の九州の快晴、となれば、これはもうクマゼミの天下。やかましいほど短い周期でセミが鳴いている。

じつは 九州旅行、中でも阿蘇を走るに当たっては、20年前からこれも漠然と思っていたことがあった。

マツダロードスター(当時はユーノス)が発売されたのがおよそ20年前。そのときからこの日本製の可愛いオープンカーに乗りたい、と思っていた。

今回、何十年か経ってようやくその二つを同時に実現できたわけだ。
「今」楽しむことをためらって、ついつい「老後の楽しみ」とか衒って言ってしまうけれど、

楽しむのはいつも「今」

なのだと思う。

さて、そういうわけで高千穂峡を午前中散策したあとで、戻って来た阿蘇は、全面晴れ渡っていて、どこからでもその姿を隠すことなく眺めることが出来た。

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なかなかiphoneのスナップ写真では、360°のパノラマな風景のスケール感は表しにくいのが残念。
(iphoneのアプリには、ぐるっと回して撮るとパノラマ撮影できるものがあるらしいんですが、まだダウンロードしていないので不明)

最近、旅行先でも散歩中でもきれいな風景を観ていると、「カメラなんて要らない、自分の瞳に焼き付けておけばいい」と思った若い頃とは違って、写真に撮っておきたいと思うようになった。

暗いところでも手振れしても接写でも、
当たり前に「きれいな写真」が撮れるデジカメの存在は大きいよねえ。

いささか暑かったけれど、高千穂→阿蘇と、
オープンで走って満足。
日焼けどめは必須でしたが(笑)。



九州に行って来た(11)阿蘇をオープンで走る爽快さ

2010年08月17日 09時12分25秒 | インポート
40年近く前、教科書(光村図書だったか)に、「大阿蘇」という詩が載っていた。

その詩を読んだときから、漠然といつかいってみたいと思っていた。

今回その想いがかなったわけだが、さてしかし、意外なことがひとつあった。

引用開始-------------

大阿蘇(部分)

雨の中に、馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 
雨の中にたつてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる
馬は草を食べてゐる
尻尾も背中も鬣も
ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる

(中略)
馬は草をたべてゐる
艸千里浜のとある丘の
雨に洗はれた青草を 
彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる


引用終了---------------
旅行から帰って来て「大阿蘇」の詩をきちんと探してみると、

詩の中では、雨が降っていた。

しかし、私の心の中のイメージでは、さんさんと照陽射しの中で、放牧された牛がのんびり佇んでいるのだ。

この違いはいったいなんだろう、と少々呆然。

詩をきちんと読んでいなかった(なにせ小学生の時だったしね)ということもあるのだろうが、阿蘇という「南国」のイメージが、
雨→晴れ
の変換を促したのかもしれない。

あるいは(観光ガイドや絵はがきにあるような)晴れ渡った山をみたいという欲望に対して、三好達治が敢えて写実的な雨の描写を対置している、という面もあるかもしれない。

けっこう曇りや雨の時は多いみたいだし。

私が行った時も、雨と雲で大観峰という外輪山の展望場所からは内輪山の五つの峰の頂上は見えなかったし、「草千里」という牧草地も雨に濡れていた。

実際には思い出の詩の情景通りだったのに、そうではないと思って少しがっかりしていたことになる(笑)。

観光はいつだって「晴れ」が「勝ち」というか、「風景を見た」という満足感が大事だからねえ。

にしてもびっくり。



入院体験記(4)

2010年08月17日 02時54分08秒 | インポート
よく聞く話だったが、自分が体験してみるとまさにそうだった。

手術台に上がり、マスクをつけられ、
「何度か大きく深呼吸してください」
といわれたつぎの瞬間には、
「終わりましたよ」
とスタッフに声をかけられていた。
そして、痛みが来るのはしばらくした後で、というのも。
手術自体は小さなもので、特段心配や緊張はしなかったが、それでもやはり手術台に上がるときには
「ありゃあ、これほんとにやるんだ……」
と少したじろいだ。
ひとつ感じたのは、手術台は作業台だけあってベッドよりだいぶ狭い、ということ。

にしてもこの意識の切断は、これはこれでなかなか興味深い体験だった。

痛みで夜中目が覚めるのはちょっとあまり楽しくはないが(>_<)





九州に行って来た(10)チェーン店ホテルの朝食

2010年08月15日 19時39分51秒 | インポート
昔のビジネス系ホテルの朝食といえば、それはそれは質素(笑)なものと相場が決まっていた。
コンビニおにぎりでいいや、というのが通り相場でもあったわけだ。

しかし、最近のホテルは朝食が、意外にうまいことがある。
今回泊まった長崎リッチモンドも、地元のアジの開き(塩焼きと溜まり漬け焼きみたいなもの)の身が厚くて香ばしく、品数がむやみに多いわけではないけれど、和食派としてはグッドだった。

チェーン展開のホテルでも、そこ(朝食の地産地消)に重きを置くものとそうでないものとあるから、選択するときにはひとつのポイントになりますね。

もちろん旅のコストを抑えるには無料提供のパン&コーヒーの方がリーズナブルなこともあるし、もっと徹底して、素泊まり&コンビニおにぎりとペットボトルのお茶の方が安いっちゃ安いこともある。
その辺りは考え方だし、場合によってよ使い分けでしょう。

ただ、せっかく観光しているのだったら、朝食だって地元の香り(それがたとえ庶民的な塩焼きの魚だったり、安価な漬物だったりしても)を手軽に味わえたなら、観光としてはむしろ「おいしい」ってことになる。

弘前のドーミーイン(温泉付き)とか、リッチモンド長崎(今回)とか、お年寄りの和食系としてなら(決して豪華ではないけれど)、その限りにおいてはきちんと地元の美味しいものを提供してくれる印象です。

楽天サイトによれば、日本国内でチェーン展開しているホテルは100種類以上あるのだとか。

チェーン店ごとのポイントカードなどもあるようだし、自分の用途に合ったものを十分理解した上で数種類おなじみになっておくのも悪くないのかもしれませんね。




九州に行って来た(9)九州観光はクルマが快適

2010年08月15日 13時37分47秒 | インポート
鍋島伊万里の窯元をゆっくり回りすぎたため、山を下りたら既に有田焼のお店群は閉店だった。(残念)。
仕方がないのでここはまたいずれ再訪する、と心に誓い、高速を使って長崎へ。
この日から九州内をクルマで移動を始めたが、東北地方を動くのに比べるとたいそう動きやすい。

フットワークよく動こうと思うなら、九州観光にはクルマが向いていると思う。都市と都市との間の距離がほどよく(盛岡市→青森市間、隣県県庁所在地の距離の遠さ!青森市→秋田市間のアクセスの悪さ!それを考えると九州にはクルマにとって実に程よい)、高速を使って、あるいは一般道でもフェリーなどを利用して、サクサクと動ける印象を持った。

前日までの過酷な移動を考えれば、佐賀→長崎は楽勝(100キロ未満)。午後7時ごろには長崎のホテルに着いてしまった。



入院体験記(3)

2010年08月15日 12時41分25秒 | インポート
asahi.comのアスパラクラブというサイトに、八千草薫のエッセイが掲載されていた。

引用開始------------
 (飼い犬を)10頭を見送ってきましたけれど、動物たちは自分の死をなぜあんなに静かに受け入れるのかと、いつも不思議に思っています。
引用終了-------------

死を怖れるのは人間だけ、というのは、特別な哲学者の言を引用するまでもない真実だ。

恐怖自体は動物も敏感に感じるのだろうけれど、死それ自体対象として考えることはできまい。

だからこそ動物のパートナーたちは純粋なのであり、言葉を持ってしまった「不純」な人間を逆に見守ってくれたりもする所以だ。

今朝もうちの犬は、いつもと変わらず
「撫ででくで~」
とわたしにせがんでいた。


入院して期限付き隠遁みたいな場所に座ると、いろいろなものに距離を取ることができるようになる。
基本的スタンスが、ウォッチャーモードである私としてはなんだか楽しくなってくる。




ちなみに好みは

2010年08月14日 11時57分33秒 | インポート
川副青山窯(前の小物いれに使用している小皿写真)と巒山窯。

巒山窯(らんざんがま)は、現代的なものも積極的なに作っていて、私はのような素人にはわかりやすい。
なかでも緑色の釉薬で、輪郭を描かずにしかもくっきりと表現している絵が素敵だった。
今度行ったときは買わなくちゃ。






九州に行ってきた(8)伊万里焼の里で

2010年08月14日 11時47分54秒 | インポート
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伊万里で焼き物を見る。

クルマは、自由に動けるからいい。そして、それが自分の好みのクルマならこれ以上のことはない。

レンタカーももっといろいろな種類のクルマが乗れるならてしいけれど、多くは一般的な乗用車で、面白味が今ひとつ。

とゆうわけで自前のクルマでや屋根を開け、日焼けを
恐れつつ伊万里へ。

ガイドブックにあった鍋島焼きの里を訪ねる。しかし、高速からナビを使って行くと大変な山道を「紹介」される。

距離評価では確かにちかいのだろうが、対向車一台もなく観光地の裏手山道の急勾配を降りて行くのは心臓によくない。
聞けば、ナビで来るお客さんはよくその道からこられます。うちらもあんな道とおらんのに、とのこと。
こういう道路評価ってのも、スタンドアロンじやなく、オンラインで交通量のデータが取れていれば修正が早いんだろうなぁ。

ま、個人的には山道の方が楽しいからいいんですが(^-^)

この大川内山は伊万里鍋島焼き窯元が並ぶ地区。
全部ゆっくりまわったら間違いなく一日がかり。
ここでゆっくりしすぎたため、山を下りたらもう有田のお店が殆んど閉店していました(>_<)
ほんとは有田焼もゆっくりみたかった……。

それでも鍋島伊万里を10いくつ回っただけで、まだ窯元の半分にもならない。

お買い物がメインじやないので、買ったのは特売の皿(写真)と、蕎麦猪口ひとつ。

でも、同じ伊万里でも、いろいろあって、その中で自分の趣味に合うものをさがしはじめると、全く違ったものを比較するより面白く、また難しく、あちらこちらを行ったり来たり。結局訪ねた窯元を二度づつ回ったような気がする。

ここはまた来なくちゃ!

と思う観光地のひとつ。
リピーターが多い、と近くの梨屋さんが言っていたのも納得である。

ただ、蕎麦猪口を買った窯元のお母さんが、
「むすこを見てると、伝統的なものも追求せねばならんし、他方ではデパートなどで催し物があると必ず新しいものを、ともいわれるしねぇ、大変だわ」
という言葉も耳に残った。

ブランドイメージと、観光戦略と、現代陶器としての可能性と、ってことだろうか。

生きてくだけでも大変なのに、生き残ってくのはもっと大変。
早く隠居してぇ(^-^)

まあ、こうやって旅したり入院したりするのも、プチ風狂だったり、小隠居もどきだったりするのかもしれないけれど。





入院体験記(2)

2010年08月14日 11時00分24秒 | 身体

その後。
簡単な外科的手術で、土日を挟んでいるので、入院していても実質することがないので、すべての説明が終わると外泊許可が出た(笑)。

入院の前は旅行が長かったので、自宅PCを立ち上げるのは久しぶり。
溜まりに溜まった1000通弱のメール(迷惑メールというのではないが、99%は不要メール)を流していたら、その中でこれが目にとまった。

日経ビジネスオンラインのコラム、小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』の8/6版
「グーグル、そして英語化される世界について考える」
の中の

引用開始--------------------------
 日本語を使っている限り、英語国民には負けない。これは非常に大切なポイントだ。死守せねばならない。
 もちろん、日本語を使っている限り、英語国民には勝てないわけだが、大切なのは無勝負無判定に持ち込むことだ。英語を使ったところでどうせ勝てないわけだし、のみならず、英語の世界では必ず負けることになっているからだ。完全に。
引用終了--------------------------

というところが印象に残った。

インフォームドコンセントの文書の言葉たちが目指しているのも、この「勝負無判定」に持ち込むこと、だったのではないか、と感じたのだ。

むろん、説明・同意書は日本語で書かれている。
そして昔手術の前に書かされた問答無用の白紙委任状とは全く違う。

手術の目的と得失を相互に理解し、その上で説明を受け、同意した、という筋道だ。

しかしそれは、この異質な文化同士がせめぎ合う中で、「勝負無判定」に持ち込むというスタンスもまた見て取れる。
ポイントは結局、そういうことなのかもしれない、と思う。

完全に対等な立場、等質な理解など、どんな交渉ごとやプロジェクト、商売においても成立はしない。
しかし、日々私たちはそんな中で可能な限り円滑に、自分たちの立場も保持しつつ、なおも他者とお互いを尊重しながら仕事や生活を営んで行かなければならない。

とすれば、交渉ごとなり異質なものの出会いや摩擦においては、適切な「勝負無判定」に持ち込む努力を惜しまない方がいい、ということになる。

大げさな話、だろうか。
でも、「ことば」を尽くす、ということは完璧に等質な理解にたどり着くことではなく、かといって「契約」したのだから、と木で鼻をくくったような門前払いを食わせることでもなく、異質さを丁寧に理解し合った上で「納得」していくことなのだろうと思う。

そのためには、むしろ「等質な理解」を過度に求めないこと、均質化をいらだたしさの中で求めすぎないこと、が大切なのかもしれない。

知識に格差もあり、態度や価値観にも大きな異質性をかかえ、そんな中で「納得」点を見いだし、そこをお互いに大切にしていくこと。

ある場合に危険なのは、むしろ「納得」していないところを「暗黙の了解で済ませ」ようとすることかもしれない。
これも難しいところだけれど、コンパクトに、誰にでも分かる範囲の言葉で丁寧に理解を求めること。それはそういう力のある側がするべきこと、なのだろう。

「異質性」を認識した上での「納得」は、両者の利益を感じるポイントがたとえずれていても、いや、むしろそのズレがあった方がよい場合がありえる。お互いがどこに利益をなぜ感じるのか、が十分に説明されているのならば、その方が「安心度」は高い、とさえ言えるかもしれない。

入院の話に戻れば、医療の場合には「治る」ってことが一番なわけだけれど、どんな状態をもって「治癒」とするのか、だって、患者と医療従事者の側では「ズレ」があるだろう。

自分が医療従事者だったら、あまりに困難な事例は「立ち去り型」の回避をしたくなるだろうなあ、と思ってみたりもする。

消費者=顧客が「完全」な満足を得た、と思うためには、あらかじめその「欲望」をコントロールしておかねばならないだろう。さまざまな方法を用いて。
私たちはむしろ、「完全」な満足を「得た」と思う「パターナル」な上から目線の「結果」ではなく、「不完全」ではあっても、それ相応の「納得」を得つつ、自分自身で自分を「選択」しつづけていく方が「より少なく悪い」。

なんだか、たかだか数ミリのポリープを切除する手術の説明を受けただけで、いろいろ考えさせられて楽しい思いをしたようだ。




入院体験記(1)

2010年08月14日 01時25分45秒 | インポート
声帯ポリープ切除の手術をすることになった。
今日が入院日。朝から病棟担当の看護師、主治医、麻酔医、手術担当看護師から、それぞれ説明を受ける。

説明を受けるだけなのだが、病棟に入るとすぐパジャマに着替えるよう指示される。

パジャマに着替えて、ベッドの上にいると次第にびょうにんのような気分になってくるから不思議だ(まあ、偽物ではなく実際の病人なんだけどね)。

書面を前にして、ひとつひとつ確認しながらサインしていく。

まあ、それだけのために一日院内を動くのだが、いつも自分が生活し、仕事をしている枠組みとは全く違ったシステムの中で動いていく体験はなかなか興味深い。

元々、医療従事者の法律上のを立場を守るためにアメリカで始まったのだろうインフォームドコンセントの仕組みはしかし、同時に、医療の本質が、さまざまなひとびとの協業があって初めて成立するものだということを患者に改めて「教育」してくれる。

医療に限らないが、社会システムの中の人間の本質に関わる部分では、流通し得るサービスの側面と、身体や精神の固有性&自由に関わる側面との関係が問われる場合が必ずある。

単に上手に処理されるべきクレーマー対策、モンスターペイシェント対策にとどまらない哲学、が重要だし、それは単なる個人の問題じゃなくて、哲学自体が、公共のものとして再生・提示・共有できるか、という課題でもあるのかな。

教育もまた同じ側面がある。いまどき、単純な
パターナリズムでは済まないが、顧客の恣意に任せていては、能力は十分には伸長しない。

出資者=受益者は、文字通りリスクテイカーでもある。
どれだけその辺りを明示し、互いに共有できるか。
語るべき言葉の種類が問われる時代だなあ、とつくづく。








九州に行って来た(7)佐賀の蝶と蝉

2010年08月13日 01時15分48秒 | インポート
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吉野ヶ里古墳の石段で、見かけた蝶。
鮮やかな色でとても美しかった。彼らは、弥生時代から変わらぬこの色で輝いていたのだろうか。
そういえば、この蝶々もそうだけれど、蝉の鳴き声も違う気がする。

いつも東北の地元で馴染み深いのは、あぶらゼミとミンミンゼミ、それにカナカナとなく蜩だ。ツクツクボウシもいる。
九州では、圧倒的に
この時期、ジワンジワンと短い周期で強く鳴く蝉が主力だ。クマゼミ、というのだろうか。南に来た、という実感は、蝉の声ひとつにも感じられる。





九州に行って来た(6)愛媛から佐賀へ

2010年08月12日 13時45分21秒 | インポート
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旅行3日目(8/3火曜)

佐賀といえば福岡県と長崎県の間にあって「狭間」感のある県だ、と

吉田修一『悪人』

には書いてあったような記憶がある。
これはたぶん福岡と比較しなければわからないのかもしれない。今回は夜福岡を通過しただけなのでその辺りは全く不明。

ただし、高速の混雑度合いを考えてみると、
東京〉大阪〉神戸〉名古屋〉福岡〉その他
という感じはあるね。

さてこの日は吉野ヶ里古墳。
三内丸山古墳と同様、大規模な古墳の地域を保存し、復元構造物を公園として公開しているパターン。
弥生時代の大規模環壕集落遺跡、と説明されている。

とにかく広い!
真夏に訪れると、汗だくで歩くことになる。
途中で水分補給は必須です。
最近の流行か、古代の体現学習も可能。
2時間ぐらいかかったかな。

でも、楽しかったです。

九州に行って来た(5)鯛めしを食べる

2010年08月10日 13時04分57秒 | インポート

旅行2日目(8月1日日曜日>

本当に、観光などしている場合ではないのだ。月曜日になると、高速代が跳ね上がるのだから。

そうはいっても、何か名物を食べねばならない。

というわけで、鯛めし。

グルメガイドはもとよりその任ではない。旅行ガイドブックにあるお店にいって、有名なものを食べる、
だけのことだ。
それでも、発見はある。

本当に美味しいものが食べたければ、
いまどきは情報収集力(とりもなおさずそれはコミュニケーション力でもあるのだろう)が勝負。
地元の人と仲良くなったり、ネットを上手に使ったり、ガイドブックも鵜呑みにせずに、お店の匂いをかぎわける ことが必要になる。それを楽しめるなら、旅グルメもまた、よし。

無論、私にはそんなエネルギーはないので、あっさり道後温泉温泉本館前のお店へ。

鯛めしを頼んで驚いた。
ご飯に炊き込むのではなく、お刺身をご飯にのっけるのはそう驚かない。

うちの祖父は海辺の出身だったが、かつおをあたたかい ご飯の上に乗せ、
醤油を垂らした後その上にお茶をかけてかつお茶漬けを食べていたから。

だが、鯛の上にかけるのが卵を出汁醤油で溶いたタレ、だったことには驚いた。

卵と出汁醤油を絡めて食べるという経験は、讃岐うどんの「釜玉うどん」で経験済みだったが、お刺身というか、丼もののタレにそれを使うとは。

しかし、うまかった!

食文化の違い(グルメ系じゃなくて、ケンミンショーの異文化理解系ですね)と、にもかかわらず美味しいものは美味しい、
という驚き。

ケンミンショーというtv番組があるけれど、自分の周囲の「常識」は全部「ローカル」
なのだ、と知ることができるのもいいし、他者もまたそのローカルを「世界」
だと信じて疑わない、その平等な相互無理解、がまた楽しい。

鯛のタレは、佐賀県に行って再度驚かされることになるのだが、それはまた別の話。








九州にいって来た(4)正岡子規記念館

2010年08月10日 12時48分25秒 | インポート
旅行2日目<8月1日日曜日>

松山といえば夏目漱石と正岡子規。

観光をしている時間はない(いったい自分でも何をしているのかだんだんわからなくなってくる高速1000円だ……)のだが、正岡子規記念館には寄らねばならない、というわけで。

正岡子規は若くして結核を病み、さらに脊椎カリエス
となって寝たきりの生活を余儀なくんされつつ、短歌&俳句の革新運動を行った……ぐらいの文学史的知識しかない。

そんな程度の私にとってもっとも印象深かったエピソードが、次の話。

子規は病床にあって絵入りエッセイを新聞に毎日欠かさず連載していた。
しかしあるとき編集者が、子規の健康を慮って連載を休止したことがあったらしい。
そのとき、子規が朝刊の紙面に原稿が掲載されていないことを知って激しく動揺し、絶対に連載を(たとえ半分の量でもいいから)続けて欲しい、と強く望む手紙をその編集者に送ったのだという。

その手紙の
「強さ」=「弱さ」
が もっとも印象的だった。

それを強く望むほどに自分は辛い状態なのだ、原稿を書くことによって(そしてそれが日々新聞紙面に掲載されて「
読まれる」ことによって!)みずからの「生」が日々蘇るのだ、と切々と語るその手紙には、病床に釘付けにされてなお表現と向き合い、その表現の力によってのみ(他者に向かって開かれることで)「生」を実感しつづけようとする以外に手立てをもたない子規の魂がむきだしで差し出されている。

淡々と描かれているかに見える晩年の彼の絵や文章。

それは見ることと書くことによってのみ「生きる」
ことを形づくるよりほかにないギリギリの叫びだ、
ということぐらい、知識としては分かっていた。
しかし、それを本当に「弱さ」だと自覚するのは、たやすいようで必ずしも容易ではあるまい。

この場所で、種田山頭火と正岡子規の二人を同時に思う出こと。
旅は思いもかけないそんな「場所」を提供してくれるのだなあ、としみじみ思う。

その「強さ」=「弱さ」
フラジャイルな強度に想いをはせると、山頭火と子規の二人が(私の頭の中で)
松山という土地をきっかけにして不思議な出会い方をしたような気がした。

妄想その2、である。



九州に行って来た(3) 種田山頭火の「一草庵」

2010年08月10日 10時22分39秒 | インポート
旅行2日目
8月1日(日)

土曜日・日曜日のうちに距離を稼がなければならないので、あまり道後温泉にゆっくり浸かってばかりもいられない。

でも、ここは正岡子規ゆかりの土地でもあり、夏目漱石にも関わりが深く、種田山頭火の没した場所でもある。

というわけでまず種田山頭火が最後に庵を結んだ?

「一草庵」

へ。街の北側山沿いにあるこの家は、駐車場がない、というので心配して路地を入っていったのだが、建物の前が公園風に整備されており、道路も広がっていて、幸いなことにクルマ2、3台は置いておけるスペースがあった。

簡単な展示の小屋があるその向こうに、普通の一軒家が
あって、それが一草庵。

ボランティアのガイドみたいな人が詰めていて、話しかけて来てくれた。

「山頭火のどこがいいですか?」

その割には最初から鋭い質問。

「尾崎放哉と種田山頭火、
のどちらが好きですか?」

これも受け手の言葉に対する姿勢を問うてくる質問だ。

それもそのはず、一草庵のボランティアガイドと私が勘違いしたのは、高橋正治さん、といって、山頭火の最後を看取った高橋一洵の息子さん(松山の自由律俳句を受け継ぐ、十六夜柿の会主宰)だった。

びびびビックリ!

尾崎放哉と種田山頭火の比較、といわれても難しいが、どちらが好き好きか、
ならそれはもちろん断然山頭火。

答えに近づく哲学の軌跡よりも、謎というか処理しきれないものを抱えつつよろよろしながら歩く叙情的な山頭火の道筋の方が、作品として魅力を感じる、ということだ。自らの「生」を削って表現したものを軽く「叙情的」
とか
「純粋」
とかいわれても本人は挨拶に困るだろうか。

しかし、身体を伴って「生」という謎と向き合うそのスタイルと対峙するためには、作品の受け手にとっても「譲れない姿勢」があるだろう。

どこに「謎」を置き、
どこに「答え」を措定するか、の違い、といってもいい。

高橋さんは山頭火はとてもシャイで清潔な人だった、
とご自身のお母さんの言葉を紹介しつつ教えてくださった。

純粋な生を求めることは純粋な死に近づくことにもなってしまう。

身体を絞りきってまで知的な認識のリミットを求めるスタイルを感じさせる尾崎放哉と、自らの身体とともに情緒を投げ出しつつ、言葉と感応していくように見える山頭火とは、やはり大きな違いがあるのだろうと思う。

作品もろくすっぽ知らずに好き勝手なことを想像するのも、旅の空の「特権」
かもしれない。

ということで、山頭火にお線香をあげてお話をうかがっていたら、もうお昼近くになってしまった。