風月庵だより

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トラック野郎の前後さいだんについて

2007-05-13 18:44:32 | Weblog
5月13日(日)曇り一時晴れ間あり【トラック野郎の前後さいだんについて】

環状八号線を走っていたら、「前後裁断」「今を生きる」と、横に大書しているトラックに出会った。それは2トン車のボックス型のトラックである。トラック野郎は好きなことを自分のトラックに書いたり、描いたり、色を塗ったりして楽しんでいるが、このような仏教的な言葉に出会ったのははじめてである。

そこで本日は「ぜんごさいだん」について、少し。
さて「前後さいだん」の字であるが、仏教経典のなかでは、「裁断」ではなく「際断」である。「前後際断」は前後際を断じる、という意味である。前後際とは、前際と後際のことであり、前際は過去、後際は未来、過去と未来を対立的に見る見解を裁断して、絶対の現在に生きること、と『禪學大辭典』(大修館書店)には書かれている。前後際・断であり、前後・裁断ではない。

しかしこの解釈はかなり意訳された一見解でもあるようだ。経典に説かれている『前後際断』の解釈については、前際と後際が断絶していることと言い、それは一切法が空であり、涅槃であること、真理を意味している。また前際は未来から言えば、現在であり、後際はさらなる未来を指す、というように、前際は過去、後際は未来というように固定的にはきめられない。


この言葉は道元禅師の『正法眼蔵』「現成公案」巻にも使われている。道元禅師はここに一箇所使われているだけのようだが、『大般若経』という経典の中には60箇所以上、その他『維摩経』などにも出てくる仏教語である。

このトラック野郎は、おそらく仏教経典の中に出てくる「前後際断」の言葉を知っていて、それを一箇所だけ変えて「前後裁断」として使ったのだと思う。一般的には前後を裁断して、「今に生きる」と続けた方が分かりやすいかもしれないが、それではせっかくの仏教語の本当の意味が失われてしまうので、やはり「前後際断」と大書してくれて、この字は何だ、と、疑問を持って貰った方がよいかもしれない。

一般的に有名な言葉の一箇所を変えて、面白みを狙った言葉などがあるが、「前後際断」はあまり有名ではない仏教語なので、そのまま使って貰う方がよいように思う。それとも前後・裁断のほうが、前後際・断よりも分かりやすいので良いではないかと、言われると果たしてなんと答えたらよいものか。皆さんはいかがお考えになりますか。

さて、このトラックははたしていかなる会社のトラックかと、社名を見ようとしたが、信号が変わってしまったので、読み取れなかったが、英文表記の文字が書かれていて、他の日本語は書かれていないようだった。

いろいろな仏教語を大書したトラックが、どんどん街を走ってくれて、あれは一体どんな意味か、と聞かれたりしたら面白いのだが、などと思ったことである。仏教語は確かに分からない言葉が多いのだが、今日は思いがけず「前後裁断」のトラック野郎のお陰で、「前後際断」を、学んでみた。

「前後際断」の本来の意味からはずれるが、今を刹那的に生きることではなく、前際と後際、それこそ悠久の過去も永劫の未来も全部ひっくるめて、凝集した現在只今を生ききること、と私は受け取った。そんな一日も暮れようとしている。今日は母の日、電子辞書が欲しいというので、プレゼントしました。

*前後際断について『大般若経』の一部を紹介します
此一切法前後際斷。即是寂滅微妙涅槃。
(一切法は前後際断であるが故に寂滅微妙涅槃である。)
*「前後際断」については後日再考します。

*恐縮ながらコメントの管理を管理人お任せで、しばらく試してみますので、宜しく。