風月庵だより

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小沢昭一氏とシャボン玉とんだ

2008-08-13 23:42:34 | Weblog
8月13日(水)晴れ【小沢昭一氏とシャボン玉とんだ】(テレビ画面からの小沢さん。このようにテレビ画面をブログに使用してもよいでしょうか?)

昨日、ちょっと時間を見るためにテレビをつけたら、白髪の初老の紳士が「シャボン玉とんだ」を歌っていた。「シャボン玉」は、野口雨情が、生まれて間もなく死んだ子どものために作った詩だそうだが、白髪の紳士は、本当の情感を籠めて歌っていた。

これほどに素晴らしい「シャボン玉」は聞いたことがない。

なんとその紳士は、小沢昭一氏だった。ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を楽しんでいる人にとって、テレビに映ったこの紳士のお姿に、さらに心酔したのではなかろうか。いぶし銀のような感じです。

番組では小沢氏の愛妻家の一面にスポットを当てていたようだ。長寿番組をつとめられたり、粋人の生き方を貫き通せる陰には、やはり奥さんがしっかりと守っている手綱があった。

そして諸手をあげて奥さんを讃美している夫の小沢氏がいて、世のご夫婦はよい参考になったのではなかろうか。お互いに助け合い、補い合って生きていく夫婦の二人三脚は、この世の荒波を乗り越えていく強い絆だろう。

なおハモニカの名手でもある小沢氏のリサイタルが、紀伊国屋ホールで近々あるそうですね。行きたいですね。

さて、小沢氏は貧主主義ということを言っていた。現代の拝金主義社会が生み出している数々の悲劇。あの昭和の時代がよかったんじゃないの、と言われていた。私も昭和40年代頃の東京の雰囲気がなんとなく好きだが、他の土地はどうだったのだろうか。

昭和33年から東京に住み、37年頃からは新宿のような繁華街にある高校に通い、大学も新宿が遊び場のようで、結構昭和30年、40年代の東京の空気を吸っていたが、なんだか味があったような気がする。自分も若かったということもあるだろうが、この頃の新宿にあの頃の雰囲気は探せないでいる。

懐古趣味でも良くないが、とにかく私は退歩のゆとりを日本に取り戻せればよいが、と思っている。じっくりとした生き方、一歩一歩地道な生き方、輝かないでいい生き方、いぶし銀のような生き方、貧主主義、いいですね。


埼玉方面の今日の棚経は、わりに暑さがうちばでした。お盆の間、今日のような程度だとありがたいです。夕方外の風にしばらく吹かれていました。そしてあの白髪の紳士の「シャボン玉」を、また聞きたいものだと思っていました。それはなにより供養の「シャボン玉」でした。

シャボン玉とんだ 屋根までとんだ 
屋根までとんで  こわれて消えた 
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 
生まれてすぐに  こわれて消えた 
かぜかぜ吹くな   シャボン玉とばそ