1月16日(土)晴れ、寒いです【『すべては宇宙の采配』その2地球の終末】(勉強に疲れて一休み?のルナ)
この前のログでこの本については紹介しました。この本に地球の終末についての記述がありますので、それを紹介します。木村さんは畑の中で目だけがあるような宇宙人にも遭遇していますが、あるとき幻想を見たそうです。
ギリシャ神話に出てきそうな姿をした人が、丸い石でできた椅子の上に座っていました。……まるで哲学者のソクラテスのように見えました。そこになぜかわたしもいるのです。……「君に手伝ってもらいたいことがある」……「そっちにある板をこっちに移してください」……畳1畳分ぐらいの大きさの板……なんとか全部の板を運び終わりました。……「これはなんですか?」「地球のカレンダーですよ。この一枚が1年分」…「これで全部終わりですが、あとはないんですか」「ありません」「……ないってことは、地球がないんですか」慌てて質問したところでハッと目が覚めました。(……は、本文を省略した箇所です)
マヤ暦が2012年で終わっていることは映画にもなっていたりで、騒がれていますが、木村さんが幻想で見たのは、それよりは少しは長いようですが、意外に早い終末だそうです。しかし、その数字は口外は許されていないのだそうです。
2回目の地球の最後を宇宙人に教えられたのは、「ズームイン朝」という番組に出る前の日だったそうです。宇宙人に両脇を抱えられ、突然宇宙船(UFO)に連れて行かれたときのこと。UFOの内部は天井がとても高いそうですが、その上のほうまで届く、巨大な一枚の紙のようなものがあり、ローマ数字のようなものがいくつも並んでいたのだそうです。
「あれはなんですか?」声を出して訊ねると、彼らは教えてくれました。「あれは地球のカレンダーです」「地球のカレンダー?最後の数字の先はないのですか?」「ご覧の通り、最後の数字で終わりになります」彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。
ソクラテス似の人にいわれた年と同じそうですが、やはり、それは誰にもいえないそうですが、気が遠くなるような未来ではないそうです。いえるのは時間がないということだそうです。リンゴ作りや農業のことだけではなく、このようなことが、この本の中には書かれています。地球の最後については、以前からもマスコミやこの手の話の好きな好事家の間で騒がれてきていますので、この本にそういうことが書いてありますよ、と言っても「あ、そんなこと」と一笑に付す人もいるでしょうし、自分もそのくらいは知っていると思う人もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私は木村さんという方が、日々土作りのため、日本の農業のため、地球のために、真っ黒になって畑で働いている人であり、その苦労の日々を一作目の『奇跡のリンゴ』でも読んでいましたので、信じたいと思います。また私自身、かつてギリシャのロドス島というところに滞在していたとき、ミーディアムの友人から、ロドス島が海に沈むときは地球人類は滅亡する、と伝えられているので、あり得ることとしていつも思っています。
それでも、今、自分のなすことは、曹洞宗の祖師方の文献を、コツコツと参究したり、等々、只今のことに精進しています。エコについても「明日のエコでは遅すぎる」というコマーシャルがありますが、少しでもできることをしていくしかありません。そして触れ合う人々と穏やかに時を過ごし、助け合って時を過ごし、自分とも上手につきあって、お疲れさま、この度の人生、卒業という日の来るまで、雲とともに、風とともに、生きて参りたいと願っているのです。
この前のログでこの本については紹介しました。この本に地球の終末についての記述がありますので、それを紹介します。木村さんは畑の中で目だけがあるような宇宙人にも遭遇していますが、あるとき幻想を見たそうです。
ギリシャ神話に出てきそうな姿をした人が、丸い石でできた椅子の上に座っていました。……まるで哲学者のソクラテスのように見えました。そこになぜかわたしもいるのです。……「君に手伝ってもらいたいことがある」……「そっちにある板をこっちに移してください」……畳1畳分ぐらいの大きさの板……なんとか全部の板を運び終わりました。……「これはなんですか?」「地球のカレンダーですよ。この一枚が1年分」…「これで全部終わりですが、あとはないんですか」「ありません」「……ないってことは、地球がないんですか」慌てて質問したところでハッと目が覚めました。(……は、本文を省略した箇所です)
マヤ暦が2012年で終わっていることは映画にもなっていたりで、騒がれていますが、木村さんが幻想で見たのは、それよりは少しは長いようですが、意外に早い終末だそうです。しかし、その数字は口外は許されていないのだそうです。
2回目の地球の最後を宇宙人に教えられたのは、「ズームイン朝」という番組に出る前の日だったそうです。宇宙人に両脇を抱えられ、突然宇宙船(UFO)に連れて行かれたときのこと。UFOの内部は天井がとても高いそうですが、その上のほうまで届く、巨大な一枚の紙のようなものがあり、ローマ数字のようなものがいくつも並んでいたのだそうです。
「あれはなんですか?」声を出して訊ねると、彼らは教えてくれました。「あれは地球のカレンダーです」「地球のカレンダー?最後の数字の先はないのですか?」「ご覧の通り、最後の数字で終わりになります」彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。
ソクラテス似の人にいわれた年と同じそうですが、やはり、それは誰にもいえないそうですが、気が遠くなるような未来ではないそうです。いえるのは時間がないということだそうです。リンゴ作りや農業のことだけではなく、このようなことが、この本の中には書かれています。地球の最後については、以前からもマスコミやこの手の話の好きな好事家の間で騒がれてきていますので、この本にそういうことが書いてありますよ、と言っても「あ、そんなこと」と一笑に付す人もいるでしょうし、自分もそのくらいは知っていると思う人もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私は木村さんという方が、日々土作りのため、日本の農業のため、地球のために、真っ黒になって畑で働いている人であり、その苦労の日々を一作目の『奇跡のリンゴ』でも読んでいましたので、信じたいと思います。また私自身、かつてギリシャのロドス島というところに滞在していたとき、ミーディアムの友人から、ロドス島が海に沈むときは地球人類は滅亡する、と伝えられているので、あり得ることとしていつも思っています。
それでも、今、自分のなすことは、曹洞宗の祖師方の文献を、コツコツと参究したり、等々、只今のことに精進しています。エコについても「明日のエコでは遅すぎる」というコマーシャルがありますが、少しでもできることをしていくしかありません。そして触れ合う人々と穏やかに時を過ごし、助け合って時を過ごし、自分とも上手につきあって、お疲れさま、この度の人生、卒業という日の来るまで、雲とともに、風とともに、生きて参りたいと願っているのです。